惨酷メカ、発進! 「投げる!」(第一章・完?)-1
1
カプリコンの今回のゲリラ強襲作戦での役目は、敵ゲリラの捕虜を敵の方に投げつけること。
長い手足で生きたままでぶん投げる。
まるで泥団子か投石のように。
想像してご覧。時速三百キロくらいの放物線でぶっ飛んで(速度で半ば窒息しつつ「自分はあと数秒後に落下ショックで死ぬのだ」と思いながら)、着地・着弾と同時にバラバラに飛び散るのである。手足はあらぬ方向に五体粉々に千切れ、血と内臓をぶちまけて。もしも敵のロボット・ウォーカーに直撃したら愉快なことだ。敵の建物やゲリラ兵士の並んだ間に墜落しても心理動揺させられるだろう。
心理的な「威嚇効果」は抜群である。
物理殲滅と武力・恐怖による恫喝あるのみ。
そうでないと自衛もままならず、生きられないのだ。
かつて古い昔にマルタ騎士団と戦ったトルコ軍が捕虜を全身の皮を剥いで水に浮かべて敵方に流し、マルタ騎士団は報復に捕虜の生首を大砲の砲弾がわりにして敵陣営に撃ち込んだそうだが。中国などでも、敵の鼻を削ぎ落とし、背後から追い立てて楯がわりに突撃させたりした、無惨で残酷な歴史事例は枚挙に暇がない。
つまり、近代的な戦時法以前の段階。
ハーグ陸戦協定とか、刑法すら、とっくに忘却。
ここはそういう時代と世界なのだった。
2
今でも色々と因縁を覚えている。
パトリシアからすれば、自分自身の直接経験だけではないのだった。村人たちだって、怒り心頭なのだ。
村の娘が拉致され、輪姦・妊娠させられて、下働きで臨月近くまでこき使われる。最後にはジープやワゴンで夜中に、村の縄張りテリトリーの端っこに「捨てて」いくのだ。すぐに村人に救助されたらまだ良い部類で、ただでさえ衰弱しているから、大きく膨らんだお腹で行き倒れになることもある。そんな遺体が発見される度に村の放送で、悲痛な弔辞が読み上げられる(家族や親しかった者たちも悲惨だ)。
その他にも、麻薬でラリらせた子供に爆弾を縛りつけて、先頭の自爆要員で突っ込ませて来ることもある。あるいは腕や足を切り落とされて、遠くの別のエリアの有力都市の変態に売り飛ばされた娘たちの噂までもある。
あまりにも「暗黒と悪」の力が大人数で規模が大きすぎて、根本的にはどうすることもできない。普通の、「古き良き時代」の理屈や良識は通じない。
だったら、こちらもそれ相応に凶暴にやるしかないのだった。目には目を、ではなく「奴隷が自由人を殴れば耳を切り取られる」という、ハンムラビ法典の過酷条項を適当する。敵や匪賊は「同じ人間」ではない。殺して豚のように食肉にしても構うものか!
「ぶっ殺してやるわよ!」
「やったるわよっ!」
パトリシアもセラも、夜叉姫のような殺意と憎悪と残虐性がみなぎっているようだった。村人の犠牲者遺族のためにも、復讐は正当で必要ですらあるだろう。「(特に敵への)慈悲」は有益で尊いけれども、反面で「高級な贅沢品」である。
あいにく「アニメの正義のスーパーロボット・ヒーロー」ごっこなんかやるつもりは微塵もない。「こいつらが死ねば・殲滅出来たらなんでもいい」というリアリズムなロボット暴力、それこそが「惨酷メカ」の真骨頂。