【カッセル守備隊】-3
「あーあ、逃げちゃうなんて、羨ましい」
逃げられるものならば自分も逃げたいと嘆くアリスであった。
「あんな部下には給料なんてもったいないわ。こっちまで減らされているんだから」
赴任してから判明したのだが、カッセル守備隊の財政状況はかなり逼迫していた。そのため、お嬢様やレイチェルたちは見習い隊員扱いで無給となり、兵士のベルネたちにも最低水準の金額しか支給されないことになった。
アリスも副隊長の支給基準から「補佐」で減額になり、さらに不倫の分を減給されてしまった。それも、なにもかも、身から出た錆と受け入れるしかなかった。
「ああ、またやっかいなヤツが来た」
広場にいるベルネたちの元へ一人の隊員が近づいてきた。副隊長のイリングの部下のシャルロッテだ。シャルロッテは何かと理由を付けてアリスの部下をこき使う。特に、仲間のユキと一緒になってお嬢様を標的にしてイジメているのだ。
アリスは面倒なことには係わり合いになりたくないので窓の側から離れた。
「ほら、遊んでないで仕事よ」
シャルロッテがレイチェルに向かって言った。
「はい、何でしょう、シャル・・・ロッティーさん」
シャルロッテは副隊長のイリングの仲間内からはロッティーと呼ばれている。レイチェルもあだ名で呼んだ。
「気安く呼ばないで、上官なんだから」
クズみたいな新入りにあだ名で呼ばれてムカついた。
「これから、監獄の掃除させるわ、付いてきなさい」
シャルロッテ、いや、ロッティーがレイチェルたち七人を連れて行ったのは地下の監獄だった。いわゆる地下牢である。
錆びついた鉄格子の扉を開けると、ギギーッと大きな音がした。薄暗い階段を下りると牢屋があった。ベルネが先頭で地下牢に入ると、どんよりとして空気に混じり、かび臭い悪臭が襲ってきた。
地下牢は岩をくり抜いた穴倉である。岩肌が剥き出しの壁、低い天井からは水が染み出ていて地面には水溜りがあった。
「マリア、今後は貴族だからって特別扱いは許さないわ」
ロッティーはお嬢様を名指しした。
「あんたの部屋は取り上げる。これからはあたしがあの部屋を使うの。今夜からはこの地下牢がマリアの寝床よ」
ロッティーが掃除用具のブラシとバケツを渡した。地下牢で寝泊まりすることになったお嬢様のために、ベルネたちまでもが監獄の掃除をさせられるのだ。
「きれいに掃除をするのよ、いいわね」
そう言い残してロッティーは階段を上がろうとしたが、
「ギャア」
地下牢の階段に人が倒れていたのを見て飛び上がった。
「誰、こんなところに」
スターチが覗き込むと若い女性がうつ伏せで倒れていた。ぐったりして目を閉じている。顔は薄汚れ、服はあちこち破れていた。
扉が開いた形跡はない。いつの間にこの地下牢に入ってきたのだろう。
「ケガしているみたいね、医務室に連れて行こう」
「待ちなさい、怪しいヤツだったらどうするの」
ロッティーがベルネの背中に隠れた。
突然、見知らぬ女が地下牢に現れた。門番の目をくぐり抜けて城砦に入るだけでも難しいのに、どうやって地下牢に侵入したのだろう。
「この人、お友達です」
お嬢様が階段に倒れている女は自分の友達だと言った。貴族のお友達にしては、やけに汚い格好だ。
「入隊の日に来なかった人・・・そんな気がするんです」
「それだよ、お嬢様・・・でも、誰だっけ」
「ええと、実は私も知らないんです」
友達と言っておきながら、当てにならないお嬢様であった。
そういえば、試験に合格したものの、隊の召集日に姿を見せなかった女がいた。一度しか顔を合わせていなので、誰も名前が思い出せなかった。
「ああ、そうかもしれない。いきなり逃げたヤツがいたっけ。逃亡したあげく、戻ってくるなり監獄とは自業自得ね」
ロッティーは、逃亡した隊員が戻ってきたことにした。
「あんたが見つけたんだ。手当してやればいいじゃん、ロッティー」
ベルネは自分たちは牢屋の掃除をするのだから、ロッティーに医務室へ連れて行くように頼んだ。
「何であたしが、こんな女の面倒を見なくちゃいけないのよ」
「ロッティー、これも何かの因縁よ。さあ、運んでください」
皆で手を貸して女を抱きかかえ、嫌がるロッティーに背負わせる。
「ちょっと待って、重たいっ」
「待たない」
「エイッ」
「うわっ」
ベルネがブラシの先でグッと押したので、女を背負ったままロッティーが倒れ込んだ。女の下敷きになってバタバタもがいている。
「痛い、助けて」
「助けて欲しかったら、地下牢をお嬢様の寝床にするのは取り消しにするんだね。いいでしょう」
「ここで寝ろなんて酷い」「掃除なんかしたくない」
ここぞとばかりみんなで攻めた。
「ロッティーをきれいに掃除してやろう」
ベルネはロッテイーの顔をブラシで擦った。
「ヤメて・・・」
「ブラシのあとは泥水をぶっ掛けようか」
「分かった、分かりました・・・命令は取り消します」
ブラシで擦られたうえに泥水を掛けられてはたまらない、ロッティーは苦し紛れに命令を撤回した。おかげでお嬢様の地下牢暮らしは回避された。
「じゃあ、この人を医務室に連れて行くね」
レイチェルとマーゴットが女を担いで階段を上がった。スターチが目配せしてお嬢様たちに早く外に出るよう促す。
最後に残ったベルネは、
「ロッティー、お嬢様の代わりに、あんたがここで寝るんだ」
そう言って地下牢の扉をギギーッと閉めた。
「えっ・・・待って、待ってよ」
ガチャリと閂が落とされた。
「嫌だっ・・・行かないで」
ロッティーは地下牢に置き去りにされてしまった。