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『新編・辺境の物語』第一巻 カッセルとシュロス 前編
【ファンタジー その他小説】

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【カッセル守備隊】-2

 アリスがカッセル守備隊に赴任して五日が過ぎた。
 辺境だから覚悟はしてきたが、それにしても、ここはなんという田舎なのだろうか。
 カッセルの城砦は高い壁に囲まれた五角形をしている。城門を入ると広場があり、その周囲には兵舎、武器庫、厩舎など主要な建物が立ち並んでいる。キープという領主の居住塔は主が不在だ。領主は普段は州都に住み、めったにカッセルには来ない。
 住民が暮らす地区には市場、鍛冶屋、酒場などの店もあり、城塞都市としての機能は揃っている。だが、城壁の外には畑が広がり、ヒツジや牛を飼う農家が点在しているだけだ。
 城壁の上から眺めると地の果てまで水平線が続いている。
 折り重なった灰色の山に、くすんだ暗い空が広がっている。荒れて貧しい大地、石ころだらけの道がどこまでも続いていた。その道を行くと、ボニア砦という地獄の最前線があると聞かされた。
 ボニア砦に比べればほんの少しはマシだが、カッセルの城砦もこの世の果てに変わりはない。
 一片の希望もない世界。これがアリスに与えられた住処なのだ。
 バロンギア帝国との国境に近い西辺境州、不毛の土地、カッセルの城砦。いつまでここにいるのだろう。ここで死ねということなのか。
 戦場で戦闘に巻き込まれたら、一撃で重傷を負い、苦しみながら、泣きながら、いつしか冷たくなっていくのだ。何という悲惨な最期だ。どうせなら一太刀で斬り殺される方がいい。できることなら、剣の達人に斬って欲しいと願った。

 あんなことをしなければと、大きなため息をついた。
 あんなこと・・・年上の書記官に夢中になり、妻がいると知りつつ何度も密会を重ねた。それが上司に知られカッセルに左遷されてきた。
 そう、アリスは不倫をしたのだ。
 一時の快楽に身を委ねたために、明るい未来は閉ざされてしまった。

 カッセル守備隊はリュメック・ランドリーが隊長を務めていた。副隊長にはイリングと、事務を担当する文官のミカエラがいる。アリスは「副隊長補佐」という肩書でイリングの補佐役に配属された。アリスはこれまでは文官として経理や備品の管理、書類整理の仕事に就いていた。軍隊にいても実戦に赴いた経験はただの一度としてなかった。
 しかし、今回は実戦部隊の副隊長補佐に任命された。通常ではあり得ない人事異動だが、これも不倫をした代償だった。不倫は公にはしないと、軍務部が請け合ってくれたからいいようなものの、部下に知られたらたちまちバカにされるだろう。
 その部下というのが問題だった。
 最前線の城砦で戦地初体験の副隊長補佐に従う部下などいるはずもない。そこで、アリスの部隊の兵士は全員が新たに採用されたのであった。辺境に行くのを志願するのはよほどの変わり者だ。考査の結果、合格したのは僅かに八人だった。しかも、兵士の経験がある二、三人を除いてほとんどが役立たずだった。肩書は兵士だが見習い隊員の扱いで、実態は単なるメイドか雑用係に過ぎなかった。

 アリスは薄暗い廊下に佇み、柱に隠れるようにして窓の外を眺めた。
 兵舎の前の広場には、問題の八人の部下がたむろしている。訓練のために集まっているのではない。勝手に町をうろつかないよう、とりあえず広場にいてくれと指示しただけだ。
 もっとも、実戦経験のないアリスでは剣や槍の使い方は教えられない。
 逃げることなら得意だわと、自嘲気味に笑った。
 あと、不倫も・・・

 部下たちはアリスの命令通り広場に留まっていた。
 じゃれ合っているのはレイチェルとクーラだ。どう見ても訓練とはほど遠く、子どもの追いかけっこにしか見えない。
 木の下で本を広げているのは自称魔法使いのマーゴットである。見ていると、マーゴットの身体がフワリと浮かんだ。足元には白い煙が立ち上り、雲に乗っているかのように見えた。アリスは戦場で敵が迫ってきたら、あの魔法で逃げられるかもしれないと期待した。ところが、雲が破れて足を踏み外しマーゴットは地面に落下した。あんな魔法では使えない、アリスはがっかりした。
 広場の中央で睨み合っているのはベルネとスターチだ。この二人は戦場での経験がある。つまり兵士であり、もっと言えば荒くれ者だ。部下であっても、アリスは怖くてまともに目を合わせられない。暴力沙汰でも起こさなければいいのだが。

 そして、さらに問題の、いや、問題外の二人がいる。
 マリアとアンナだ。
 この二人、マリアはお嬢様、アンナはそのお付きと名乗っている。マリアは子爵の娘だというが、どうせ落ちぶれた貧乏貴族なのだろう。そうでもなければこんな辺境に来るわけがない。しかも、世話係のアンナによると花嫁修業だというから笑わせる。
 マリアお嬢様は何かと言うと泣いてばかりだ。
 鎧兜や剣を見ては怖がり、寝床が硬いと言ってメソメソ泣いた。そもそも辺境の城砦なのだから、幹部を除いて寝台など宛がわれてはいない。大抵は兵舎の床に横になって布を被って寝るだけだ。アリスだって他の隊員と雑魚寝をしているくらいである。ところが、地位を利用して賄賂でも贈ったとみえて、マリアには個室が与えられ、綿の入った特注の布団で寝ているというから驚きだ。
 貴族のお嬢様どころか、まるで王女様ではないか。
 そのお嬢様は朝の行進中にぶっ倒れた。そんなに速く走れませんというのだ。ダラダラ歩いていただけなのに、まったく足手まといだ。
 何でお嬢様なぞを採用したのだろうか。あれよりダメな者がいるとでも言うのか・・・

 そういえばと、アリスは指を折って数えた。広場に居るのは七人だ。八人いるはずなのに一人少ない。
「ええと、もう一人は・・・誰だっけ」
 顔も名前も忘れてしまったが、採用試験の時、地味な服を着て廊下の隅に蹲っている女がいた。合格したと聞かされたのだが召集日に姿を見せなかった。いきなり逃げたのだ。
「あーあ、逃げちゃうなんて、羨ましい」
 


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