海月の捕食された日-3
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だがアヤからすれば知った事ではない。
生前の人生経験から愛兄リクからの、愛情と思いやり溢れる誠実な態度が男全般への判断基準の物差しになっているため、今の海月の薄情で女性の苦悩を笑ってシカトする態度はありえない無礼でほとんど非人間的なものにさえ思われてしまう。
ついに怒鳴り気味に無茶な命令・罵倒する。
「海月、服でも脱いだら?」
このアヤという娘は案外に性格がキツイ一面もあった。しかも天然ボケの節まである。
「は?」
「サリーナさんは男に無理矢理乱暴されたせいでトラウマなのよ。だから男に優しくされたり楽しんでイチャつくのがセラピーみたいなもんだって、自分で言ってたもの。海月は男の子でしょ? だから全裸になって土下座して、足でも舐めてご奉仕してあげたら?」
すると海月は口をへの字に曲げてあからさまに嫌そうな顔をする。
その顔には「何でオレが?」と書いてある。
「足舐めろとか、バカじゃねーの?」
「そんなの喩えよ。せめてもうちょっと、女の人には優しくしなさいよ」
アヤからすれば、そして客観的にも、海月の性格はリクより優しくないだろう。
だが海月は歩み寄ると、サリーナの頬をパンパンっとやや強く平手で叩く。
「起きろよ、サーシャ。白昼夢よりシュークリーム。おーい、ウェイクアップだ、わかるか?」
するとサリーナの目に少しだけ理性が戻ったようだった。震え方もさっきまでに比べれば穏やかになったようだった。
海月は指差した。
「ほら。「優しく」どうとか、そんなもん……」
「優しくして」
その涙声を発したのはサリーナだった。
海月の腰に抱きつき、胸に顔を埋めている。
やや困惑顔をする海月にアヤは驚き顔を返した。
おそらくそれは女としての本能なのだろう。
アヤは美少女だけれども、同性の女相手にはその心理効果は薄い。フラッシュバックに怯えて激しく動揺したサリーナが無意識に求めていたのは、安心させてくれる母性や味方の男性からの庇護感なのかもしれない。
たしかにアヤは親しい友人でもあるし、カリーナ同様に同性愛の気さえも多少はあるものの、サリーナとはこれまでそういう関係ではない(男女間でも友人と恋愛では微妙に違う)。つまり彼女ではカリーナの代わりにはならなくても、海月だったら気分次第でイチャつく「男たち」の替わりになるということなのだろうか。
アヤは当てつけに教え聞かせるみたいに海月に言う。
「男冥利でしょ? そういうことがわからないから、あんたは子供なのよ」
「わからないっての。女の子なんか本気で好きになったことなんか、オレにはないし。恋愛とかそういうの、わからない。そりゃ、ビキニとか巨乳は嫌いじゃないけどさー」
そんなことを言う海月は真顔で決まり悪そうで、少し気持ち悪そうですらあった。
アヤは横向き加減に「最低」とボソッと呟いている。
別にホモではなくノーマルな性欲はあるようなのだが、彼にはアヤのよく言う「高級な感情」(愛情や、思慕とか恋情のことらしい)というものが理解できないらしい。極度に合理的で行動原理も冷徹な者からすれば、恋愛だの男女の心の機微だのは不要で余計な贅沢品くらいにしか思えないのだろう。
アヤの感覚と理屈からすれば世間の男性一般は心の細やかさが足りないし、特に海月のような未熟なガキは感情や感受性が稚拙・粗雑なのだとか。
そして海月からすれば「知ったことか」「大きなお世話だ」ということになる。だから少年はあえて反抗するように、殺伐と短絡的な、愚弄や揶揄とも取れる言葉をサリーナに投げる。今まさに抱きつかれているわけだが。
「サーシャはSEXでもしたいわけ? こちとら童貞ボーイだけど」
彼がメトロで自由に動き回れるようになったのは最近だし、彼の過去である未来世界でも、その手の経験はなかったものらしい。
傍で聞いているアヤは眉を顰めた。
けれどもサリーナが小声で「うん」と答え、アヤの表情には更なる当惑が浮かぶ。考えてみれば、同じ「幽霊もどき」でも、サリーナの属性はサキュバス(淫魔)だったことを、アヤと海月は改めて思い出す。
今度は海月が驚き顔になっている。たとえ肉欲や願望があっても、こんな売り言葉に買い言葉の急な展開で、雲行きおかしく本当になってきたのに戸惑っている。