地下鉄で愛しい幽霊と情交した少年(後編)-1
1
その過去の存在のアヤが、目の前に現れたとしたら?
もう「美しい思い出」では済まなくなるのは火を見るより明らかだったろう。
ましてやこの不可思議な地下鉄車両では、二人の他に誰もいないのだ。
妹のアヤの優しい手と声が、兄のリクに告げ囁いた。
「いいよ。他に誰も来ないもの」
2
枕された太股から上目遣いに見上げれば、その容貌は記憶よりも成長しているようだった。おまけに女性的な甘い香りも、覚えているよりも強まっているようだった。
思い起こせば乗車前に「オープンキャンパス」云々とも言っていた。アヤが幽霊であるにしては、どこか妙に話が具体的でもある。それに知っているアヤよりも成長していて、まるで「違う未来」から来たようだ。
「アヤ」
「何?」
「アヤは。幽霊なの?」
その言葉を発するのにしばし迷ったのは、そんなくだらない指摘のせいで全てが消えてしまうのではないかと、怖かったからだ。
するとアヤはちょっとだけ目を丸くして、それからクスクスと笑って答える。
「そんなものかな? でも私には、お兄ちゃんの方が「幽霊」だけど」
アヤは立ち上がりがてら、リクを対面座席の椅子の隙間の床にやんわりと押し倒した。窓枠の下の壁を背もたれのようにして、半分寝転んだ格好だ。
そこへ跨り乗ってきたアヤの体重は、覚えているよりも少し重く感じられた。
「あのね、「おまじない」をしたの。お兄ちゃんが生きている世界と繋がれますようにって。リク兄の世界で、たぶん私は死んでるんだよね」
「それって、どういう?」
「ほら、パラレルワールドとか平行世界っていうの? よくわかんないけど、私はお兄ちゃんに会えたらそれでいいんだけど」
アヤが言うには、リクの方こそが「幽霊」なのだとは。
摩訶不思議に不可思議を重ねる理屈は、リクの頭をより一層に朦朧とさせた。
つまり「妹を亡くした兄の世界」と「兄を失った妹の世界」が、お互いの妄執に引き寄せられて交じり合っているということらしい。信じがたいながらも、これは現実だとしか思われなかった。
「地下鉄とかだと、違う世界の「路線」がたまに混ざるんだって。そんな都市伝説」
驚くリクに、アヤは妖艶に微笑んでキスしてきた。
艶やかな唇は刹那にゾッとするほどに冷たく、そして次の瞬間には温かかった。
それから許しを請うように、微笑んで告白する。
「あのね、私もう処女じゃないけど許してくれるよね? 「リク兄」としかしてないし」
一瞬、アヤが何を言っているのかわからなかった。
けれども意味を理解したとき、リクは背筋が寒くなり、吐き気や眩暈を感じた。
この「リク兄が死んでいる世界のアヤ」は、地下鉄でパラレルワールドのリクと逢瀬を重ねているとでも言うのだろうか? 愛する妹の「男漁り」ならぬ「兄漁り」の告白に呆然としてしまう。
このアヤは、別世界のリクと淫行を重ねているのか?
あるいは彼女の世界での、死んだ兄との関係がそうだったのか?
真面目に考えるだけで頭がおかしくなりそうだった。
何もかもが狂っているようだった。
それとも夢なのだろうか。
あるいは自分の気が狂ったのか?
当のアヤの方はこういうリアクションに多少なりとも慣れているのか、どこか玩ぶかのような含みのある微笑で当惑する兄の顔を見下ろしている。
おそらくはこれまでの経験で、彼の反応が大体推測できるためなのだろう。たぶんこれまでの別の「リク兄」もまた、彼女に有利な反応を示したはずだった。
「何人くらい?」
「えへへ、内緒」
アヤは誤魔化すように、人差指を自分の唇に立てた。
まるで愛妹があばずれたかのようで、アヤと交わった他の自分が許せなくなってくる。
そんなリクの嫉妬の感情を浮かべた表情もまた、アヤには愉悦でしかないようだった。
「どうする? 身体に訊いてみたら? 何人くらい、何回くらい、お兄ちゃんとHしたか」
さながら挑戦するかのような物言いと笑顔だった。
一等に小憎らしく、嫉妬と嫌悪と劣情のあまりに鼓動までが高まるようだ。きっとそんな心理すらも、この「アヤ」は計算づくなのだろう。