雇用とメンタルの問題-1
1
アリスといったんは月に帰ってから、カーラは元所有者・人間の主人であるアリスの父親が退院したら、家政婦でしばし勤めるつもりではあった。
それで実の娘であるアンナと一緒に、アパートの整理に向かったのだ。もう少しアンナの勤務先・住まいの近場で、別の好都合な場所に移る事が予定されていた事情もある。アンナは母の再婚先の会計士の継父からは必ずしも悪くない扱いを受けてはいたのだが、かねてからの自立願望もあったために一人暮らししているそうだ。
「あのころに比べたら、ずいぶん片付いてる」
往時の元所有者の飲んだくれていた頃の有様を知っているだけに(離婚と再就職の失敗で酷い有様だった)、カーラはそんな感想を零す。
アリスは笑って言った。
「パパだって、不景気で何度も失業するまでは。私のことも水族館に連れて行ってくれたり、けっこう頑張ってたんだなーとは思いますよ」
「そうなの」
「ええ。だから持ち家も買って半分はローン支払ったのに、差押さえと立ち退き警告されて弁護士さんの事務所を駆けずり回って、そんな間に母が浮気して、おかしくなったのはそれから。元からお酒は飲みましたけど、それで荒れるとかはあんまりなかったですし」
「あらまあ」
今にして思えば、元主人がカーラに虐待的な荒れた態度をとったのは、女性不信や自分を捨てた妻への恨みを八つ当たりしていた面もあるのだろう。
「それで、会計士の方のパパに相談してみたら、「介護家政婦アンドロイド補助」の制度があって、ホムンクルスがそういう勤務するのにも適用が出来るとかで。それだったらカーラさんのお給料とかも、国からポイントが付くみたいですし」
公益事業などの一定条件を満たしたアンドロイドの所有者や、ホムンクルスの自発的な勤労には「ポイント」という独特の補助・報酬の制度がある。
ポイントはメンテナンス費用などに使うことが出来るため、アンドロイド・ホムンクルスたちにとっては「第二の通貨」のようなものである。その他にもホムンクルスの雇用契約では、(大部分は役所でのポイントの記録である)規定給与の一部が人間社会の通貨で支払われる慣習もある(食事などは不要でも、衣服や交通費などで一定額は必要とするため)。
けれどもカーラの家政婦としての「再雇用」には未確定要素がある。つい数日前にこの近隣で発生したホムンクルスによる殺人テロ事件で、自我のないアンドロイドはまだしも、ホムンクルスそのものが危険視され、忌避される風潮になっているためだ。
「でもパパの新しい部屋を探してて、予約してあったアパートが、急に「ホムンクルスお断り」になっちゃって。とりあえずは代りにレンタル・アンドロイドにしたらどうかって。でもいつか、しばらくしたら世の中が落ち着くかもしれませんし。そしたら、ときどきでも、一ヶ月単位とかで年に何回かでも、パパの相手してあげて貰えたらって」
「ええ。人間の世界の出張やワーキングホリデー(働きながらの長期滞在)みたいに」
「ありがとう、喜ぶと思う。パパったら、アンドロイドは気持ち悪がるくせに、カーラさんやアリスちゃんのことは好きだったみたいだから。結局、あの人は甘えたいんだと思う」
外見が人間に酷似しているのに、自我や心がないアンドロイドをかえって嫌がる人間もいる。その辺りの感性は個々人の趣味や考え方でも様々なパターンがある。
2
部屋の片付けと掃除中、何気なく点けたテレビでは、ホムンクルスによる動物虐待事件(犬殺しだけで十匹近く)が報道されていた。自分になつかないことに腹を立てての犯行だという。
たしかにアンドロイドは人間に似せて作られてはいても、音や臭いの違いで、犬からすれば人間だとは思えないのかもしれない。そういう心理的葛藤は最近では「アンドロイド・コンプレックス」と用語されているそうである。
カーラはアンナと目を合わせて哀しげな顔をした。
「嫌な事件だわ。犬からしたら、ただの八つ当たりでしょうに。バカみたい」
あながち他人事ではない。カーラ自身も人間からそういう扱いに遭った事はあるのだし、アンドロイドやホムンクルス全般にそういう潜在的な感情や恐怖はある。そしてかつての被害者がこんなふうに加害者になるのは、ゾッとするような話だった。
温厚で理知的なアリスやカーラを知っているアンナからすれば理解不能なようでもある。
「どうしてこんなことするんでしょう?」
「こういう人は自分が「ホムンクルス」だって、わかってないからよ。人間と全く同じじゃないとか、理不尽なコンプレックスを持っておかしくなっちゃうのかしら。「汝自身を知れ」じゃないけど、自分で自分がわかってない。そういうのって一番の不幸なんだわ」