曲者策士な母の企みで?-5
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この辺りは都心ではなく、駅の周辺から幾らか離れれば住宅の密集度もさほどには高くないし、威圧的な大きな建築物も遠目にしか見えない。田畑などと家々が適当に混ざり合っており、土地家屋の値段なども都心に比べれば格段に安いだろう。
この立地には二宮家は祖父の代から科学研究者であるために、必ずしも日々の通勤の便利さを追求する必要がないという理由が働いている。出勤そのものが大学の授業や会議などで毎日定刻というわけでもないし、逆に家で科学の計算や論文の執筆やら、海外の研究書・技術マニュアルなどの翻訳などの仕事をしていることも多い。ゆえに半分は在宅勤務の自営業者ようなものなのだが、もちろん時間のかかる実験だの観測だので本当に忙しいときには、勤め先にある宿泊スペースや自分用の個室で仮眠を取る。
そんな事情で今日は玲しか家にいない。
そこへ母のアヤとの電話約束で、勤務ローテーションで休暇のサエが遊びに来た。
結果として、玲はサエとこの家で二人きりということになっている。
「母が、すみません」
「あの子、たまにぶっ飛んでるのは昔っからだから。あとでチョイとばかりとっちめてやらなくっちゃ。いっつも私のことはからかうんだから。外向けは品行方正でクールビューティーしてるのに、悪戯な猫みたいなのよ」
そんなことを言いながら、サエはさほど怒ってもおらず、むしろ面白げに笑っていた。
アヤがそういう甘えたふざけ方をするのも、それだけサエが特別に親密な間柄だからなのだろう。少なくともアヤは多くの場合には根の部分の態度が冷淡で無関心なようで、特別に興味や関心、愛情・愛着のある人間や事柄にしか突っ込んで絡もうとはしないようなところがある。
狐に摘まれた来客は立ち上がり、さしあたって台所に目を向けながら彼女は言う。
「とりあえす、台所かりちゃっていい? お昼ご飯くらい、簡単なものでも作ってあげる」
「あ、お気遣いなく。冷凍のグラタンとか、色々あるから、サエさんも食べてって貰えばいいかも」
「何? 私の料理、嫌?」
サエはちょっと不満げに口を尖らせた。どこか拗ねたみたいな。
遠慮されたことで、かえってあしらわれたような寂しさを感じたのかもしれない。彼女としては、玲には実の息子や甥にも似たような、格別の愛情を抱いているのだから。それも赤ん坊の頃からのことだから、一朝一夕の思い入れとは次元が違う。
「嫌じゃないですけど、ジョギングしてきたんだし」
玲はどんな風に話をすれば良いのか考えて戸惑いながら、おそらく色々と好都合な折衷案を切り出してみることにした。
「汗かいてるし、換えのシャツとか、母のがありますし。もしシャワー浴びるんだったら、その間に俺が昼御飯くらい準備するから。そういったら、サエさんは今日の晩とか、明日とか暇なんですか?」
「あ、うん。今日と明日が休みで、けっこう暇してるけど」
「だったら泊まってって、夕御飯でも作って貰えたら」
そんな唐突な要望にサエはちょっと目を丸くしたけれど、その瞳には微かな喜びの光があった。
「うふふ、オーケー、オーケー」
サエは人差指で玲のおでこをツンツン突っついた。
「それにしてもシャワーねえ。玲君も、一緒に入る?」
下心を見透かされてギョッとした顔の少年に、サエは指を左右に振った。
「それとも、覘きたい? いいよ、アンタに覘かれたくらいだったら平気。もう「お年頃」だわね、あんな小さかった坊やもとうとう。でもまさかそんな目で、私なんかまで見てるなんて、ちょっと驚いたわ。まだアンタは若いのに、私なんかとっくにオバサンだよ?」
嫌悪や当惑よりも感慨深さと哀愁が滲んだような語調だった。
玲は頭の中が真っ白にフリーズしてしまっている。即物的な欲情の情動とこれまでの関係からの理性が噛みあわなくなり、自分でも本当はどうしたいのかわからない。
サエはサエで伏せた目を畳と襖に彷徨わせ、哀しく惑うような面差しだった。
「えっと。ご免ねー、変なこと言っちゃって。まったく、アヤが変なこと言うから、私までつられちゃったわ。とりあえず、お昼御飯でも作ってあげる。それとあとで晩御飯の支度も。玲君は、ミルカ(犬)とでも遊んであげてくれる?」
つとめて明るい口調で言うサエの目には、哀しげで儚げな光が映っていた。
よく知っている台所で冷蔵庫の中身を検分しているサエに、玲は自分のシャツとハーフのジャージズボンを持ってきてあげた。母のものだと、サイズが少しきついからだ。