影武者ドッペルゲンガー-1
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少人数の教室での筆記試験が終わったあと、その間に外の喫茶店で待っていたサエが校門の前まで迎えに来てくれた。
莉亜の疾患は急に容態が悪くなることはあまりなく、極端に具合が悪くなるときには数日前から兆候が出ることが多い。それに試験官にもそんな持病のあることは知らせてあるし、何よりもサエは病院関係者なのだ。こんなにも付き添いで心強い存在はない。
このところは随分と体調も良く、入院から定期通院が主になっている。
「この分だったら、当分は自宅療養でいけるかもね」
「そうだといいんですけど。サエさんとリクさんのおかげですよ」
莉亜ははにかむように応えながら、チクリとだけ僅かに胸が痛む。
ほんの一月ほどの付き合いで、別に毎日でもなかったのに、家庭教師役のリクは忘れ難い存在になっていた。
たぶん心が「男の子要素の精神ビタミン」に飢えていたこともあるだろうし、二宮先生の義理の息子でサエさんの彼氏ということで、最初から好感だったこともあるのだろう。病室で学科を教わるのは満たされたし、辛いという程でもなかったが、どこか切なく悩ましい感情がなかったといえば嘘になるのだ。別にサエから奪いたいわけではなかったが、あらぬ空想や願望がなかったとは言えないだろう。
サエはそれくらいは許してくれるだろうし、薄々は察してくれているのかもしれない。けれど、長く生きられず恋愛も思うにならない我が身のこと、哀しい。
(やっぱり私は人魚姫なのかな?)
とはいえ、リクに抱いた淡い感情は甘く苦しい宝物のようなものだった。そういう空漠とした叶わぬ想いを抱いて死んでいくのも悪くはないのかもしれない。それに少々我侭かもしれないが、サエに話してたまにリクをかして貰うくらいは許してくれるかもしれないが、それが本当に望みとは言い切れない。リクのことは好きだが愛しているという程ではなく、欲しいのはリクではなく自分だけの王子なのだから。
(なんだか不埒なこと考えちゃってる)
難しい顔になってしまう莉亜の顔をサエが心配そうに覗き込む。
「どうしたの? 考え事?」
「恋とか愛って難しいですよねえ」
「うーん」
年下の友人の悩み顔に、相談に乗ってあげたくもなる。第一にこういうときにはひたすらお喋りするのが女性的な解消法でもあった。一人でストレスを溜め込んでいるのはそれだけでフラストレーションなのだ。
「御飯、食べてくでしょ?」
サエは励ますように言った。
「パフェとか、ホットケーキくらいならご馳走してあげる」
「やったあ!」
莉亜が歓びの声を上げるのは演技でも皮肉でもなく、そして食べ物だけでなく、心遣いもまた嬉しいからだ。少しばかり年齢が違うとはいえ、理解してくれる友人がいることほど心強いことはないのだから。
二人でパフェを食べ、悪戯にキスし、本屋さんで資格の本を見てみた。
それから帰りの地下鉄に乗り、サエから「地下鉄のオカルト話」を聞いたのだ。
あのリクは不思議な地下鉄で亡き妹に再会したそうだし、サエも別世界の彼女やその息子に会ったのだという。
「こんなの、どうせ夢でも見たんだろ、って言えばそれまでなんだけど」
サエはそんなふうに語ったが、その目は嘘を吐いている目ではなかった。
そして莉亜はあのサイトで応募コメントを書き込んだことを思い出す。
「ん? どうしたの?」
「インターネットで、そういうサイトを見つけて」
かくして彼女もまた、摩訶不思議な冒険の入り口に立っているのだった。