初詣の途中で-1
時代は平成も終わり、新しい元号令和が始まりましたが、これは昭和の話です・・・
私の名前は人志と言います。家は、私、父和馬、母法子の三人家族で、両親は共働きでした。私が最初に、母が父以外にエッチされたのを見たのは、母が31歳、私は8歳で、当時私達は、4畳半の風呂無しトイレと、流し共同のアパートに住んで居ました。
昭和○○年の元旦、それは起こりました・・・
我が家では毎年、大晦日の紅白歌合戦も終わると、ゆく年くる年という、紅白の終わった後にやっている番組を付けながら、参拝の準備を始めます。
「人志ちゃん、眠そうねぇ!?これから出かけるから、顔を洗ってらっしゃい」
「は〜い」
私は少し眠く、それに気づいた母に顔を洗うように言われ、私は廊下に出て流し台で顔を洗い、部屋に戻ろうとすると、部屋の中から父に話し掛ける母の声が聞こえたので、思わずその場で立ち止まりました。
「ねぇ、あなたぁ。初詣から帰ったら・・・久しぶりに良いでしょう?」
「何が!?」
「もう・・・正月ぐらい久々に・・・抱いてくれても良いでしょう!?」
「バ、バカか!?人志が廊下に居るんだぞ」
「だってぇぇ・・・最近ご無沙汰だし・・・久々にして欲しいのぉ」
「いいから出掛ける支度しろ」
「もう!分かったわよ」
父に拒否され、母はご機嫌斜めでしたが、私が部屋に戻ると、何もなかったかのように母は化粧を始めました。父と私は男ですので、別段普段と変わらない格好でしたが、母はやはり着て行く衣服が気になるのか、ベージュのスリップ姿のまま、着ていく服を悩んで居ました。子供の私が見ても、母は他の友達の母親達よりも巨乳で、尻も大きくムチムチって感じでした。
「正月ぐらいは、スカートでも穿こうかしら!?」
「何でもいいから早く着ろ」
「もう!」
母は、まだ父とのエッチを諦めて居ないのか、普段は穿かないスカートをお腹に当て、父にどう?とでもいうように見せましたが、父は母の衣装に興味無さそうに、さっさと着替えろと催促しました。母は不機嫌ながらも茶のパンストを穿き、厚手の薄いピンクの長袖シャツの上から白いセーターを着ると、下にはさっきの膝丈ぐらいのこげ茶色のスカートを穿き、最後に黄土色のオーバーを着ました。テレビから除夜の鐘が流れた頃、私達はお参りに行きました。私が行ったお寺は有名な所で、夜中でしたが電車も混雑して居ました。
「まあ、テレビで見る様な昼間の混雑に比べればマシだな」
「そうね」
「もし逸れたら、駅前の切符売り場の前で待ってろ」
「分かったわ」
私達はそう決めて、駅からお寺に向かいました。戦前生まれの父は、母と並んで歩くのは嫌なようで、父は少し前を歩き、母は私の手を引いてその後を歩きましたが、人混みが徐々に増え、私と母は段々父と距離が離れてしまいました。それでも父は、そんな私達にお構いなく、どんどん先に歩いて行き、次第に父の後姿が見えなくなりました。
「もう、自分勝手何だからぁ・・・」
母はちょっとムッとしながらも、人の流れに押され、私と離れないように、私の手をしっかり握りしめて居ました。どれくらいの距離を歩いてからだったか忘れましたが、私はオシッコがしたくなってしまいました。母にオシッコがしたい事を告げると、
「エッ!?もうちょっと我慢出来ない?」
お寺に着けばトイレは当然あったでしょうが、子供の私から見ると、お寺までかなりの距離があるように見えましたし、この人混みでは何時辿り着けるか分からず、私は無理と答えました。
「しょうがないわねぇ・・・」
母は渋々、脇の路地に私を連れて人混みを逃れ、此処で立ちションをさせようと思ったようですが、
「そういえば、確かこの先に公園があったわねぇ・・・大きかったと思うから、トイレぐらいありそうだし、お寺行ったらトイレ並びそうだし、私もそこでしとこうかなぁ!?もうちょっと平気?」
「うん」
当時は、女子トイレの個室の数は少なく、女性の方はトイレの前で大行列していたのを、私は子供心に覚えています。母もそう考えたのでしょう、公園で用を足そうと考え、母は私の手を引きながら、人通りが少なくなった路地裏を歩いて行きました。住宅街を抜けると、木々が生い茂った公園に出ました。中々広い公園ではありましたが、やはり夜も遅く、木々が生い茂った薄暗い公園の中には、人影もありませんでした。