「向こう側」第一話-3
「歯ぁ食いしばれよ!」
男は踏み込む体勢に入ってスグルに向かって言った。
(歯食いしばれって言われても…ああ俺の人生もここまでか…どーせならこんな男の腕の中で最期を迎えるより美人なお姉さんの胸の中で死にたかったな…)
ダッ!
スグルの願いもむなしく男は高々とジャンプした。
スグルは恐怖心から目を開けることができなかった。胃が浮くような感覚と風が耳元をかすめる感覚だけがスグルを支配した。
ダンッ!!
気を失いかけていたスグルだったがその音を聞いてまだ自分が生きていることを認識した。
何が起こったのかはわからないが確かに足はビルの屋上の上にある。
「た…助かった…」
安堵の表情を浮かべるスグルであったが男のほうは何かを気にしているようだ。
「やっぱり追いついてきたか…」
男の視線はさっきの窓を向いている。
スグルは腰に力が入らずその窓で何が起こっているのかは見えなかったが男の様子を確認することができた。
「あーあ…これあんま頻繁に使いたくないんだけどなぁ」
男はそう言うと右手の手のひらを前方に突き出した。
すると次の瞬間男の手のひらから紫色の光が発せられた。
光を放出し終わると男は屋上から身を乗り出し何かを確認する。
「ん、上出来♪上出来♪」
男は満足げにそう言うとスグルのほうへ近づいてきた。
「おうボウズ!待たしたみたいですまないな……ってあれっ?」
スグルの顔をまじまじと観察するにつれて明るかった男の表情は徐々に曇り始めた。
「…お前……誰?」
「こっちのセリフなんですけどぉ!!」
予想外のことを言われてスグルはいつものテンションでつっこんでしまった。
どうやらこの男は人違いをしたらしい。
「こりゃあやべーぞ…とりあえずあいつに連絡取んねーと…」
男はブツブツとつぶやき左手を耳元にかざす。
「あーもしもし?こちらバッジですけど、アーリアム君応答してくださ〜い」
どうやら左手がケータイのような役割をしているらしい。
『バカもん!貴様は今まで何をやっておったのだ!』
バッジの左手からアーリアムと呼ばれた人物の罵声が聞こえてくる。
「何やってたって言われても…ちゃんとやるべき事をやろうとしてたら邪魔が入っちゃってさ」
そう言うとバッジはチラリとスグルのほうを見た。
いやいや別に俺のせいじゃねぇとスグルは目で訴えた。
「えーとじゃあもしかして俺らは任務失敗しちゃったってことかなアーリアム君?」
『任務にしっばいしたのは「俺ら」じゃない「お前」だけだ!どうして見張り役の俺がお前の仕事までやるはめになるんだ!?』
バッジはアーリアムの言ったことを理解するのに少し時間を要した。