アクエリアスの女 変革の章-1
ポストに葉書が入っている。『出射若菜 写真展 世界の木々』
別れた恋人、若菜の個展が開かれるようだ。彼女の事を想うとまだ切ないが純粋に活躍が知りたくなり個展を訪れることに決めた。会場も県内で、車で一時間程度のところだ。開催日時を確認し葉書をデスクの引き出しにしまった。
こじんまりとした会場だが老舗のギャラリーで地方にしては著名人が好んで展示会を開いている。入り口付近には多くの花が飾られていた。写真の大家、黒井史郎からも大きな花輪が届いている。上手くやっているようで安心した。自動ドアが開き、良く磨かれた黒い大理石の床を踏みしめ場内を見渡した。一面に森林や大木の写真が大小さまざまなサイズで飾られている。「ご芳名ください」と受付の女性から声がかかるまで森の中にいるような気分になっていた。
一応、名前を記し写真を一つ一つ見て回る。付き合っているときは彼女を見るばかりでこうして作品を見ることはなかったことに今更ながら残念な気がしていた。写真は素人の僕が見ても素晴らしいものでまるで深い森の苔の匂いがしてきそうだ。実物よりもリアリティを感じる生命の波動が僕に迫る。彼女が見てくると言った世界一高いセコイア杉に圧倒されながら少し休憩をするために設置されてあるソファーに座った。座って大きく息を吐き出しふと視線を上げると片隅に控えめなサイズの写真があった。――僕と若菜が愛し合った場所だ。
二人で愛を交わした杉の木が撮られていた。僕が撮った若菜の写真はもうすでに削除してしまってあった。こうして思い出を公共の場所で眺めると不思議と彼女との関係は本当に過去の事なんだなあと実感した。
立ち上がり、残りの作品も眺めた。後半部部になると珍しく人物も一緒に撮られている。自然と一体化したようなスレンダーな少年のようだ。何枚か同じ人物が被写体として含まれているのでモデルかもしれない。――エンジェルオークか……。
まさしく天使の様な少年と大きな樫の木が幽玄の世界を描き出している。ぼんやりと見つめていると会場に人が増え、ざわめきを感じたので写真集を購入し出ようかと考えた、その時「星樹さん!」と声がかかった。若菜だ。
「個展、おめでとう」
「きてくれたのね。ありがとう」
髪が少し伸び、日焼けをしていたが好奇心に満ちた若々しい黒い目は変わっていなかった。個展と言うことで彼女は淡いクリーム色のパンツスーツ姿ですでに独特の作家の雰囲気を醸し出している。もう別世界の人のような気がする。彼女の二、三歩あとに中性的な雰囲気の少年が立ってこちらをじっと見つめる。それに気が付き若菜から視線を逸らすと「ああ。紹介するわ」と少年を自分の横に立たせた。
「黒甕トモ。モデルしてもらったの」
「トモです」
「緋月星樹です」
ぶっきら棒だが下品さはなく音もなく佇む姿は精霊のようだ。
「良いモデル見つけたんだね。森と一体化しててCGかと思ったくらいだよ」
「そうでしょ。この子は特別なのよ」
「先週二十歳になった」
「ごめんごめん。子ども扱いしたわけじゃないのよ」
トモは『子』と言われたのが気に入らないのだろうか。先週、誕生日と言えばこの少年はみずがめ座だ。――美少年ガニメデスか。
「彼女はほんと自然に溶け込んでるようでしょう」
――彼女?
トモは女性だった。少し驚いたがみずがめ座の革新的な思考やスタイルを思うと不思議ではないかもしれない。中性的でほっそりとしたスタイルに透けるような白い肌。顔は卵型で色素の薄い短い髪は日に透けるとキラキラ輝きそうだ。年齢も性別も国籍も固定化することが難しい雰囲気を持っている。
トモは僕を凝視する。関心があるのか、警戒しているのか。どう思って見ているのか表情から読めない。
「じゃ、僕はこれで」
「もう……」
若菜は何た言いたげなそぶりを見せるが僕は頭を下げた。
「活躍をいつも応援してます」
まだ愛し合ったエッセンスが残っているのだろうか。二人を取り巻く空気が濃く感じる。しかし掛け合う言葉はすでになく僕らは再びお互いの道を進んだ。