バルゴの女 処女の章-1
僕の胸の上の麗子が甘い中に威厳のあるお願いを始める。
「ねえ。星樹さん。今度観てもらいたい人がいるの」
指先でカールされた髪を弄びながら僕は聞き返す。
「運勢だけ?」
「ふふふ」
きっと運勢を鑑定するだけでは済まないだろうと予想しながら麗子の話を聞いた。
鑑定をする相手は麗子の叔母、乙羽真澄四十六歳独身。一カ月後に挙式を控えている。相手は五十歳で子供は三人いるらしく前妻とは死別して数年経つ。獅童家と相手方の家との繋がりによる所謂、政略結婚のようなものではあるが互いに承知はしており仄かではあるが好意的らしい。
「上手くいきそうじゃないか。何を観ることがあるの?不安があるならただのマリッジブルーだよ」
「うーん。そういうことじゃなくて」
珍しく言い辛そうにする歯切れの悪い麗子だ。
「叔母はね、セックスの経験がないの。今は違うんだけど若いころは敬虔なクリスチャンだったし。怖いんだって……」
相手に子供がいて跡取りを作るための結婚ではないにしろ、さすがに性生活がないとは言えない。五十代ならまだまだ現役だろう。四十六歳で処女であるということは真澄にとって重い足枷でしかないようだ。
「なるほどねえ。たいていの男にとって処女は結構嬉しいことだけどね……」
「それ、若い時だけでしょ?」
ぴしゃりと言われて僕は閉口した。
「で?」
「叔母を……。自信をつけさせてほしいのよ。大丈夫だって」
「言葉だけで?」
後ろめたそうに麗子は目を伏せて言う。
「いえ……。実践も……」
僕は大きくため息をついて身体を起こし、掛けてあったシャツを手に取り身支度を始めた。
「まさか、僕のクィーンに他の女と寝ろと命令されるとは思わなかったね……」
「そういうんじゃないのよ。お願い。私だってあなたが他の人と抱き合うなんて絶対いやだわ。許さないわ!」
「叔母さんならいいの?」
「叔母はね。私が小さいころに母がなくなってからずっと母親代わりだったの。控えめで優しくて……自分の事をいつも後回しで。叔母には幸せになってもらいたいのよ」
まっすぐに僕を見つめ訴えかける麗子の目に涙が浮かんでいる。彼女にこれだけ思われる真澄は特別なのだろう。複雑な気分がしてはっきりした回答が出せずに
「考えさせて」
と一言発し、麗子のマンションを後にした。
カルチャースクールの理事長の孫である獅童麗子と肉体関係に到って一ヶ月ほどになる。はっきり恋人関係とは言えないもののよく二人で逢うようになっていた。いつまで続くかわからない関係だけれどもさすがにさっきの『お願い』はむっとする。そして自分なりに一つの決意を麗子にぶつけることにした。
数日後、麗子からマンションに呼び出された。予想が出来ているにもかかわらず足が向いてしまう。訪れると案の定、乙羽真澄も一緒だった。
「初めまして。乙羽真澄と申します」
蘭の花の様な麗子の隣にひっそりと咲く菫の様な清楚な中年女性が透き通った声で自己紹介をした。
「緋月星樹です」
真澄は真黒なストレートボブで紺のロングスカートに白いブラウスと言ったいで立ちで確かにシスターに近い雰囲気を感じさせる。
「お願いよ。星樹さん」
しんみりとした空間を打ち砕くような明るいオーラを持つ麗子が立ち上がって再度僕に頼み込んでくる。腹の中にたまっていた息を長く吐き出して僕は麗子に向かって答えた。
「真澄さんを観るのであれば、個人的に君とかかわることはやめたいと思ってる」
麗子は絶句してガクッと膝を折りソファーに座った。真澄が麗子の背中を優しく擦りながら
「すみませんでした。私がいけないんです。麗子に不安を漏らしてしまうと、この娘ったら『大丈夫にしてくれる人がいるのよ』って言いますもので任せていたらとんでもないお話になっていたようで」
「真澄ママ……。あたし、あたし、ママに幸せになってもらいたくて……。」
麗子は真澄を叔母ではなく母と呼んでいる。黙って見ていると麗子を目に強い意志をたくわえ僕に向かって言った。
「お願いします。緋月先生」
ああ……。これが彼女の答えなのか。僕と真澄の秤は完全に真澄のほうが勝るらしい。
「わかりました。行きましょう」
僕は真澄に手を差し出した。
「え?」
真澄は全く何がどうなっているのかわからないという表情で麗子と僕を見比べている。そんな真澄の手を強引にとり麗子のマンションを後にした。もう訪れることのないこの部屋に立ち尽くす孤高の女王と決別した。