芳恵 牧子 遥香 の家-1
「芳恵叔母の家にしばらく泊まるよ。庭仕事に男手も必要なんだって」
電話で母親にそう告げると、疑いもせず、
「そう。でもアルバイトのことはどうするの?」
と言った。アルバイトについては解決済みだ、そう告げるとあっさり母は了解してくれた。僕の通う大学のある長野と違い、東京近郊の芳恵の家は目と鼻の先のよう。なにかあってもすぐに帰ってこれると思ったのだろう。
叔父の会社のアルバイトについては、既に了解済みである。彼の会社は元々、10月から3月にかけての期末に忙しい。夏の期間は閑散期だ。春休みの帰郷の折、手伝うことを約束し、叔父もあっさり了解してくれた。
芳恵とのドライブデートを終えたその日から、泊まることになった。僕がしばらく滞在する旨を芳恵は母親に告げる。芳恵の母、牧子は僕の宿泊を喜んでくれた。牧子は、
「そう、しばらく泊まってくれるのね?嬉しいよ。なにせ、この家は男が居つかない家だものね」
と、嬉しさ半分、寂しそうにもそう言った。
僕は遠縁の親戚にあたる気安さか、しばらく滞在して、庭仕事でも手伝うよ、と言えば、二つ返事で許してくれた。
牧子の夫は、彼女が三十代の頃、外に女を作って出て行ってしまった。芳恵の実母だ、若い頃から今でも小奇麗で洗練された女性である。しかも芳恵にとっても優しい母親で、少なくとも僕は、牧子が怒った顔を見たことがない。
僕の実家に牧子が遊びに来るたびに、おせんべいを一斗缶ほど携えてくる。牧子は今も、近くのせんべい工場にパートとして働いていたからだろう、商品にならないこわれせんべいをよく持ってきてくれた。
芳恵はといえば、母親の牧子の前ではおとなしい。演じてできるものではないと思うが、良き娘としての仮面を外さない。
僕について言えば、車購入のためのアルバイトはすぐに見つかった。電話ひとつで決まったのだ。
家に帰り、宿泊の話を牧子に告げた後、芳恵は自分の仕事先に電話してくれた。芳恵の勤める登記事務所に短期のアルバイトの口があったのだ。僕はそこでしばらく働くことになった。
芳恵の娘、遥香はまだ4歳。芳恵や牧子に似た目のぱっちりしたおしゃまさんだ。人見知りするそうだが、なぜか僕にはよくなついてくれた。夕食の支度で、牧子と芳恵が台所にいる間、僕が遊んであげているのを見て、牧子が言う。
「ふふふ、お父さんみたいね?よかったね、遥香。若いお父さんに遊んでもらって」
と、嬉しそうに言う。父親のいない遥香への、祖母のささやかな希望を投影した物言いなのだろうが、父親というよりはお兄さんの年齢の僕だ、複雑な気持ちで聞いた。