形姿(なりすがた)-3
東京を離れ、この街のデザイン専門学校で焼き物づくりを学び、陶磁器の会社で仕事に夢中になっているうちに四十歳になった。ふだんは絵付けの仕事をおもにやっているが、展示会が近くなると土練りから始めて自分だけの作品をつくる。
手にした陶器をじっと眺め続ける。昨日も、その前の日もそうしていた。一日中、何もしないで、今度の展示会に出品する自分の作品を手に取り、何時間も見つめていた。誰かに批評してもらいたいけど、会社の主任は、とてもいい出来栄えじゃないかといったが、何かピンとこない。そんなとき、ふと思い浮かんだのがご主人だった。
「来週の展示会に出品する作品なんです。どんな感想でもいいですから、思ったことをおっしゃっていただけませんか」
わたしは、作品を褒めてもらうためにご主人に見せたのではなく、作品をけなしてわたしを責めて欲しかった。それを望んだ相手が、なぜご主人なのがわからない。
ご主人はテーブルに置かれた陶器をじっと眺め、両手を添えた。その手はまるでわたしの体を包み込んでいるように温かに感じられた。
長い指が器の縁をなぞった。それは確かにわたしに向けられた指だったような気がした。どこかというと、わたしの唇か、乳首か、もしくは陰毛の繁みの中だったかもしれない。そう思ったわたしを察したようにご主人は言った。
「これはかおりさんに似ていますね。いや、似ているというより、心そのものかもしれない」
「ええ、心を込めて作りましたから」と、わたしは月並みの言葉を発すると、ご主人はにっこり笑って言った。
「良くも悪くも、あなたが持っている《かたちの景色》が伝わってくるような陶器です」
ご主人は、陶器の景色がどう見えるのかということではなく、景色がどういうふうに感じられるかということを言いたかったらしい。それもわたしのかたちの景色を。
「わたしのどんなかたちが感じられるのでしょう」わたしはご主人の顔を覗き込むように言った。
ご主人は流れるような静かな笑みを見せた。「かおりさんが知らないあいだに、あなたの心の風景が熔けた釉薬となり、流れ、滲み、魅惑的な陶器に窯変したとでもいいましょうか」
ご主人は、この陶器をとおして、わたしをどう思っているのだろうか……そう考えると、何かじれったさを感じる言葉だった。
「ご主人は、ほんとうはわたしのことを、気が強くて、意地っ張りで、それなのにもろくて、今にも壊れそうで、つい、いじめたくなるなんて思っていませんか」
こんなことをご主人に言えたわたしは、微かな疼きを感じ、彼に触れられる目の前の陶器に嫉妬をしていた。
「この作品をけなして欲しいんです。けなして、わたしを責めていただければ、もっといい作品をつくれそうな気がするんです」
だだをこねる幼子のようにわたしは言った。
喫茶店の窓に雨粒が叩きつけ、幾筋もの水滴がまだら模様をガラスに描いていた。いつのまにか、店の中には、老婦の店主とわたしとご主人以外に誰もいなかった。
「ひどい雨になりましたね。しばらくは帰れません。その分、ぼくはかおりさんとここでいっしょにいる時間が長くなるのがうれしいですね」
そう言いながら、ご主人は、あいかわらず目の前にあるわたしの作品を手に取り、視線を注ぎ続けている。その優しげな瞳と指の動きは、わたしの身体のすべてに彼の物憂い気配を忍ばせてくる。まるで裸にされたわたしの窪みや突起に奥深く入り込み、わたしを責めたてるように蠢いている。
「わたしも、ご主人ともっと深くて長い時間をすごしたくなります」
そう言ったわたしの顔に目を向けたご主人は、手にしていた陶器をテーブルに置くと珈琲をひとくち啜り、煙草に火をつけた。
雨はますます激しくなっている。わたしは、自分のからだと心がご主人の手の中にあるのを感じていた。ご主人にイジメられたいと本気で思っていた。それはきっとわたしがご主人のことを好きになりかけていたからなのだ。
わたしはご主人の顔をじっと見つめて言った。「ご主人が、足元の黒いスーツケースの中を見せてくれそうな気がします……」
一瞬、ご主人は神妙な顔を見せたが、すぐにいつもの穏やかな表情に戻った。
「ケースの中は見せない方がいいかもしれません。亡くなった大切な女性の思い出だけがつまっています」
わたしは何か、会話のはしごを外されたような気がした。
「でも、かおりさんがほんとうに中身を見たいという欲望があり、ケースの中のものを受け入れることができるなら、ぼくは見せてもいいと思っています」