アヤノ-9
―恭吾さん……、あの人に逢いたい。―
自分自身、予想もしていなかった想いが浮かんだ事に驚いた。
けれど、あの人は心から私を心配してくれている、直感的にそう感じることが出来た。
それは恭吾さんが言っていた大切な人と、その人に似ている私とを重ねているからなのだろうか。
いくら考えてもその答えは見付からなかった。
その代わり、恭吾さんに逢いたいという想いだけは、益々確かな物に変わっていった。
私は一時の逃げ場所を求めているだけなのだろうか。
車に揺られていると、私は強い眠気を感じた。
「疲れているでしょう?眠っていいのよ。」
そう言ってくれた女性刑事に甘え、私は暫しの眠りについた。意識が夢の世界へと落ちる瞬間、私の意識に現れたものは、優しげな笑顔で私を見つめる恭吾さんだった。
「目が覚めたかい?」
眠る寸前に見た表情と全く同じ笑顔。
『恭吾…さん?』
私はかすれた声で問掛けた。
「気分は悪くないかい??大丈夫そうなら食事にしよう。」
辺りを見回すと、そこは白を基調とした清潔感のある部屋だった。窓からはまだ低い位置にあると思われる太陽の陽射しが差し込み、今が朝だと言う事を私に知らせた。
『ここは留置所?』
「酷い冗談だな、君が留置所に入れられる理由なんて1つも無いじゃないか。」
恭吾さんは苦笑いしながら言った。
「検察は、今回の事をダークネスの成分による一種の錯乱状態だったとして、綾乃さんの不起訴を決めたよ。今日の午後、もう一度病院で診察を受けて、体に異常が無ければ、君は家に帰れる。」
恭吾さんの口調はどこまでも穏やかだった。
『全てを…ドラッグのせいにはしたくありません。それに、私にはもう帰る場所なんて…何処にも無いんです。』
私は言った。
住む場所が無いのではない。修とは同棲していた訳ではなかったし、すぐ近くには一人暮らしをしていたアパートがある。
けれど、今まであったはずの心の居場所は、何処にも無かった…。
恭吾さんは押し黙ってしまった。
『ごめんなさい…。こんな事言われても、困っちゃいますよね。私…、まだ気持ちが落ち着かなくて。修はもう私の事、許してくれないだろうし…。今までずっと、誰かに甘えて生きてきたから、甘えられる人がもう誰もいないんだって考えたら、不安で……。」
それ以上の言葉を続ける事は出来なかった。本当はもっともっと、泣き言はたくさんあったのに。涙が溢れてきて、言葉が続かなかなかった。
けれど、それで良かったと思う。どんなに泣き言を言った所で、その泣き言は恭吾さんを困らせるだけだろう。
昨日初めて出会った私に、これだけ良くしてくれた恭吾さんには感謝しなくてはならない。
たとえ恭吾さんが、仕事だから私に優しく接してくれたんだとしても、それは本当に嬉しかった。
『もしかして、眠ってる間…ずっとついていてくれたんですか?』
「あぁ、けど不謹慎な真似は一切してないから安心して。」
その言葉に私の瞳からは、悲しみとは別の涙が溢れた。
『…ありがとう……ございました。』
心からの感謝の言葉だった。
私は掌で顔を覆い、止まらぬ涙を必死に抑えようとした。
その時だった。私の頭を暖かな温もりが包み込んだ。
「もう泣かないでくれ…。もう君の涙は見たくないんだ。」
掌を下げると、目の前には恭吾さんの胸板があった。そして恭吾さんの腕が私を抱いていた。
「もし君が…独りで眠りに付けないのなら、俺は君が眠りに付く事が出来るまで側にいる…。朝独りで目覚めるのが怖いのなら、朝まで側にいる…。独りで食事をするのが淋しければ、何時でも食事を共にする…。そして君が悲しみに涙を流すなら、俺は涙が止まるまで…いつまでも側にいる…。君が心の支えを必要とするなら、俺は全力で君を支える…。」
力強い、暖かな言葉だった。
「もう、これ以上自分を責めないでくれ。」
『………はい。』
私はその言葉を受け入れた。