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コシュカの二都物語
【ハーレム 官能小説】

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いざ、北のヴェネチアへ-1

KTVでロシア美女コンパニオンのサービスを俺が開始してから、約9カ月が経過した2002年12月には、俺の店は「金髪美女と遊んで最後まで出来る店」として、バンコク中に(そして、おそらく買春目当てでバンコクを訪れる観光客の間にも)知れわたっていた。

平均客単価は、カラオケでの飲食代も含めて、11000バーツ(44000円)もする高級店だったが、連日連夜客足が途絶えなかった。

明くる2003年1月に、馴染みの警官から、「近々、今の署長が更迭されて、新しい署長が着任する。新署長は、容赦なく違法売春を摘発する。」というタレコミ情報が入った。俺は、その警官に謝礼して、すぐ店を閉めて、ほとぼりが冷めるまで、バンコクから雲隠れすることにした。少々、悪目立ちし過ぎてしまった。この1年で相当稼がせて貰ったし、いい潮時だろうと俺は思った。

向かった先は、ロシアのサンクト・ペテルブルク。嬢の面接のための出張で、何度もロシアの都市は訪れていたが、特にこの町が気に入った。

サンクト・ペテルブルクは、18世紀の初頭に、ピョートル大帝の命によりネヴァ川の河口の湿地帯に建設されたため、排水を目的に縦横無尽に水路が張り巡らされている。ロシア帝国全盛期の栄華を偲ばせる美しい建物が立ち並ぶ芸術都市でもある。そのため、北のヴェネツィアとも呼ばれる。

バンコクのロシア大使館で、6カ月間滞在可能な数次商用ビザを取得し、俺のお気に入りの嬢たちで、この町の出身の、Наташа(ナターシャ)、Таня(ターニャ)、Софьи(ソフィー)、Рената(レナータ)の4人の嬢たちの協力を得て、18世紀に建てられた貴族の館を改装した寝室が3つある市内のアパートを月600ドルで借りた。そして、5人で一緒に住むことになった。そして、生活費を稼ぐために、市内でKTVを開業することにした。

それから、マイナス15度の凍てつくような寒さの中、俺は地元の銀行に口座を開設し、そこにバンコクから米ドルを送金して、市内で物件を探し始めた。

幸運なことにKTVを開店するのにうってつけの手頃な物件が、サンクト・ペテルブルクを代表する繁華街のНевский проспект(ネフスキー・プロスペクト)に見つかった。Wittes Hausというドイツ系貴族が19世紀に建てたアール・ヌーヴォー様式の洋館で、180平米の店舗スペースを月1000でドルで借りることができた。地下鉄ゴスティニー・ドゥヴォル駅のすぐ近くで、世界遺産エルミタージュ美術館にも歩いて行ける距離のところにある大変アクセスの良い物件だ。


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