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コシュカの二都物語
【ハーレム 官能小説】

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KTV-1

話しは、さらに12年前に遡る。

2002年、当時27歳だった俺は、バンコクのナナ地区で、KTVを3店舗経営していた。これは、一見すると、日本のカラオケボックスに見えるが、実態は風俗店だ。客の前にコンパニオンをずらっと並べて、気に入った嬢を指名させ、一緒に飲み物を飲んだり、カラオケをしたあと、客はコンパニオンと料金交渉をする。(プレイの基本料金は決まっていたが、生フェラ、口内発射、顔射、アナル舐め、アナル挿入、ゴールデンシャワー、複数プレイなどの別の料金のオプションがあり、総額は嬢との交渉で決まる。)

交渉が成立したら、客は店に追加料金を払って店外に連れ出してもいいし、また店内の隠し部屋(ヤリ部屋)で行為に及んでもいい。

俺は建前上、場所を貸しているだけで、コンパニオンはあくまでフリーランサーだった。

丁度その頃、タイのロシアや旧東欧諸国の国民に対する入国ビザ要件が緩和され、これらの国々からの観光客が次第に増え始めた。同時に、観光を名目にバンコクやパタヤまで遠征して売春するロシア嬢の姿もチラホラ見かけるようになった。

そこで、俺はモスクワとサンクト・ペテルブルクのタブロイド紙に、往復の渡航費を支払い、滞在場所を無料で提供する条件で、バンコクで売春する嬢の募集広告を出した。大学で学んだロシア語の知識が、まさかこんなところで、生かせるとは思いもよらなかった。

すると10代から50代まで、3000件近い問い合わせが殺到した。俺は、書類審査で10代から30代の美女300人に絞り込み、現地で面接を実施した。

ロシア娘のレベルの高さに、俺は度肝を抜かれた。美しいストレートのブロンド、ブルネット、黒髪の抜群のプロポーションの女たちに、面接会場のホテルの会議室で、”Сними бюстгальтер и покажи мне свою грудь. (ブラを取って、おっぱいを見せて。)”と俺が頼むと、大抵の女たちは素直に同意して胸を見せてくれた。みんな、下手な豊胸手術などしていない、きれいなナチュラルボインばかりだった。それを見て俺は勃起しっぱなしだった。

俺は、最終審査に合格した180人を4期に分け45人づつ受け入れ、残りは予備登録して、欠員が出たら順次バンコクに呼び寄せることで、大成功した。

一方、嬢たちも、南国タイランドの開放的で非日常的な雰囲気を楽しんでくれた。

ロシアの若い嬢たちは、美人でプロポーションが抜群であるだけでなく、気立てが良くて、明るい性格の娘が多かった。時にホームシックにかかったり、客とトラブルを起こす嬢がいたが、俺が趣味の料理の腕を振るい、ボルシチ、ビーフストロガノフ、水餃子のようなヒンカリ、冷製スープのオクローシカなど、料理本で学んだレシピでご飯を作り、食べさせると、再び落ち着きを取り戻し、元気に働いてくれた。

当時は、金髪碧眼のフッカーはタイでは大変珍しく、タイ娘の相場の3〜5倍の60分ゴム付きで、7000〜9000バーツ(28000〜36000円くらい)でも、客足が絶えなかった。俺の店では、20〜30分のshort stayのサービスはなく、全ての嬢が60分以上のlong stayだった。嬢のかわいさとサービスは地元の客からも、日本人などの観光客からも大好評で、俺は店は大繁盛した。

それで、警察に目を付けられたが、署長を3人のブロンド嬢で、4P接待したら、問題は一遍に解決した。

俺のコストは、嬢たちの航空券代とコンドミニアムの宿泊費だけで、逆に嬢たちは、追加オプションも含めて、プレイ代総額の4割を俺にコミッションとして支払うことになっていた。(客は、プレイ代は直接嬢に支払わず、嬢の持ち帰りや、やり部屋に移動する際に店に総額を支払った。そして、俺は嬢たちには日払いで清算した。)

俺は、新しい嬢のリクルートのため、2カ月に一度、モスクワやサンクトペテルブルクやエカテリンブルクに出張した。


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