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コシュカの二都物語
【ハーレム 官能小説】

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プロローグ-1

俺の名はKoshka(コシュカ,кошка)。ロシア語で「猫」という意味だ。けれども、もちろん人間だ。生まれは日本だが、ここ17年余り、ロシアのサンクト・ペテルブルク(露Санкт-Петербург、英独St. Petersburg)とウクライナのキエフ(Київ)の間を行ったり来たりする生活を送ってきた。

とは言え、その話しは過去形だ。今年の2月中旬以降、ロシアでもウクライナでも各地でコロナウィルスの感染爆発が相次ぎ、3月上旬に両国がそれぞれ、国境を閉鎖した。そのため、今はウクライナの首都キエフから一歩も外に出られない生活を送っている。

6月のキエフの気温は不安定だ。内陸部に位置するため、晴れれば、日中の最高気温は摂氏30度台の半ばに達する一方、雨が降れば20度を下回る。

今は、年が20〜25才くらい離れた3人のロシア語を話す若いウクライナの女たちと一緒に共同生活を送っている。俺たちの暮らすアパートは市内の高台の上に位置していて、バルコニーからキエフの街並みがよく見わたせる。

そこで、14世紀初頭、吉田山に引きこもって、鎌倉時代末期から南北朝期にかけての戦乱で荒廃した京の街並みを眺めながら、当時の世相を辛辣な筆致で徒然草に書いた吉田兼好の心境で。。。もとい、庶民目線で党派対立に翻弄された19世紀の英仏の人々の悲哀や社会の不条理を描いたチャールズ・ディケンズになりかわったつもりで、今、自分の身の周りで起きていることや、自分の来し方の人生を振り返って考察したい。

俺の住むアパートはキエフの観光スポットでもある聖ムィハイール黄金ドール修道院の近くにあり、東側にドニエプル川、西側にキエフのCBD(中心ビジネス街)がある。通りを挟んで向かい側に立つ聖アレクサンドル・ローマカトリック教会への参詣ルートを約300メートルほど下ると、独立広場(Майдан Незалежності)がある。

ここは、2004年11月のオレンジ革命の舞台となったウクライナの党派対立のグランドゼロだ。11月21日に行われた大統領選挙で、親ロシア派のヴィクトル・ヤヌコビッチが、親EU派のヴィクトル・ユシチェンコを制して当選したと発表したところ、事前の世論調査で圧倒的な支持率を記録していたユシチェンコを支持する群衆が、ここに集結し広場を埋め尽くし、平和的な示威行動を行った。

そして、座り込み、政治集会、ゼネストの決議が連日行われた結果、12月に入ると国際社会が調停に乗り出し、12月27日に再投票が行われ、翌28日にユシチェンコの当選が決まった。

しかし、その後、親EU派のユシチェンコ政権内で内部抗争が始まり、ユシチェンコは経済運営に失敗した。その結果、2010年の大統領選挙では、前回の選挙で敗退した親ロシア派のヤヌコビッチが当選した。彼は政権を掌握すると、裁判所に働き掛け、ユシチェンコ政権が行った憲法改正を無効とする判決を下させた。こうして、オレンジ革命の成果は無に帰すか、と思われた。

2014年2月に、ロシアの黒海沿岸の保養地ソチで行われた冬季オリンピックが終了するとすぐ、ウクライナ領であったクリミア半島の帰属を巡って、ロシアとウクライナが激突した。この半島の先端には、ロシア海軍の基地であるセバストポリ軍港があり、19世紀以来、ロシアの対外進出の窓口として死活的に重要な役割を果たしてきた。

これに先立ち、政府内部の汚職の蔓延や対外債務返済の問題などを抱えた親ロシア派のヤヌコビッチ政権は、国内で進行する深刻なインフレに対処するべく、通貨フリヴニャの平価切下げを断行した。しかし、それが更なるインフレを招き、経済政策が行き詰まった。

そこに救いの手を差し伸べたロシアとの間で、ヤヌコビッチは2013年12月中旬、数十億ドルに上る融資協定を締結するとともに、EU加盟に向けて前政権が積み上げてきた外交成果を葬り去ろうとした。

そこで、親EU派の群衆が10年ぶりに再び独立広場に集結し、大規模な抗議行動を開始した。それに対して、ヤヌコビッチは治安部隊を投入し、強権的に弾圧する方針を示したため、群衆は平和的な示威行動から、武力による徹底抗戦に方針転換した。

彼らは、モロトフカクテル、手榴弾、ソ連時代のAK47ライフル、出処不詳のイスラエル製ウージ半自動小銃で武装して、独立広場にバリケードを築いた。

そして、2月18日から市街戦が始まり、3日間で広場は文字通り焼け野原と化した。21日にヤヌコビッチは野党指導者との間で、危機回避のため憲法改正、大統領選の早期実施を内容を内容とする覚書を交わした。

しかし、彼はその日のうちに首都キエフからロシア語話者の多い東ウクライナに逃亡し、やがてロシアに亡命したため、国家議長がヤヌコビッチを大統領職から解任し、暫定大統領に就任した。

ウクライナの政治的な混乱に乗じて、2月26日にロシアは東ウクライナとクリミア半島に軍事介入を始めた。完全武装の兵士はロシア軍の認識票を取り、地元の武装民兵のふりをして、官公庁、放送局、発電所、空港などの重要拠点を瞬く間うちに制圧した。

クリミアでは、ロシアは傀儡政権に3月17日に独立宣言させ、「独立」後に召集された議会の決議に基づき、ロシア議会上院は3月21日クリミアのロシア連邦への編入を宣言した。

一方、東ウクライナの武装勢力とウクライナ政府軍との間では、今もなお、散発的な交戦が継続している。

こうしたなか、両地域から多くの難民が発生した。





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