苦悩-1
古野は丁会社の下請け製造会社の課長であったが良心が災いしてその犠牲を払うこととなった。
「課長のおかげで俺たちリストラから外されたが、いまどこで働いてるのか」
以前部下だった田中が社員食堂で話していた。
「なんでも保険会社のセールスしてるようだけど以前スーパーで夫婦を見かけたとな、奥さん初めて見たけど俺好みの綺麗な人だったと・・」
噂どうり古野は保険外交員として働いていた、しかし慣れないセールス、しかも毎月のノルマは厳しく一年も過ぎると上司からのパワハラが目立つようになった。
「古野君、こんな成績では考えてもらわな困るよ、今どれくらいの見込み客を作ってるのかな」
柴崎部長はこう問いただした。
「三件ぐらいはあります」
「君、三件で仮に全部成約できても三件じゃないか、数倍の見込み客作らにゃ困るよ」
「はい、努力します」
「そんな言葉もう聞き飽きたよ、今月目標ができないようでは・・・いいな覚悟しろ」
柴崎は念を押すように肩をたたいた。
「お帰りなさい」
「・・・」
誠也は居間のソファーにどっかりと腰を降ろした。
「疲れてるみたいね、お風呂先に入る?」
「何もしたくない、明日元の職場の人に会ってくる、もう寝るよ」
ここ数日誠也はろくに食事もとらないで休むことが増えていた。
「お父さん大丈夫?学校帰り公園のベンチにぼーと腰掛けている所、私見たよ」
高校に通う娘、幸が言った。
家のローンと二人の子供の学費の負担は律子に重くのしかかっていた。
「幸、心配しないでお母さんも頑張るから、優しいお父さんだもの大事にしないとね」
律子は強がってみたが不安はあった。
そして数日後、誠也の体に異変があった。
「あなた起きれる?そろそろ時間よ、私も仕事にでかけるからね」
少しイライラしながら誠也に言葉をかけが無言であった。
「じゃあ出かけるからね、朝食は準備しておいたから」
律子は「老人施設けやきの里」で働いていた。
職員の中では評判はよくテキパキと仕事をこなし入所者からも人気があった。
「古野さん旦那いるんだろ・・うらやましいな、一晩だけでも借りたいよ」
入所者の三沢が車いすを押す律子に声をかけた。
「まあ、三沢さん奥様いらっしゃるんでしょ」
「婆さんではな、立つものもたたないわ」
「まだそんな元気あるんですか・・」
そんなたわいもない話にもつきあっていた。
律子は時々気分転換に行きつけの喫茶店に寄っていた。
早番を済ませ初夏の昼下がり喫茶「あい」に立ち寄った、昭和の面影を残すレトロな店で気に入っていた。
午後ということもありマスター以外ひとりの男がカウンターに座って珈琲を飲んでいた。
「やあ律ちゃん早番かい」
退屈そうなマスターは律子を見るなり言葉をかけた。
そこにいたひとりの男はその声で振り向き律子と目が合うと軽い会釈をした。
「マスター今日はアイスね」
律子は少し疲れた表情でカウンターに腰を掛けた。
(いいオナゴだな、社長に報告するだけの女だ)
男は橘プロダクションの社員高橋貢であった。
「突然失礼ですが奥様この近くですか」
「はい、あなたは?」
怪訝そうに男を見た。
「失礼、こういう者ですが」
男は名刺入れから取り出して会釈した。
「橘プロ・・・なんですか?」
「芸能プロです、いい女優さん発掘する会社ですね」
「へえ、あなたはスカウトさん?」
「まあそんなところですか」
「なかなかそんな方この辺ではいないでしょ」
律子はそういってアイスのストローに口を寄せた。
「あなた素敵な方ですね、うちに欲しい女性です」
「ええ、冗談言わないで、もうおばさんよ私」
「いえいえ奥様お美しいですよ、マスターそう思われません」
「律ちゃんはいいですよ」とニコリと笑った。
男は封筒を出し「いつでもいいので見ておいてください」と律子に渡すのだった。
家に帰ると誠也はまだベッドに横になっていた。
「大丈夫?無理してはダメよ、今の仕事嫌だったらやめていいよ」
誠也を慰めるつもりで言ったが無言だった。
「律子、目まいがするんだ、頭も重い」
翌朝 誠也はぼそりと言った。
「医者へ行きましょ、今日私休むわ、会社に電話できる?」
「お前からしてくれないか」
相当参っているのだと察して律子は会社に電話した。
しかし帰ってきた言葉は冷たかった。
医者の診察は鬱であった。
「仕事を暫く休んで静養されたらどうですか、環境を変えないと良くなりません」
仕事を休む、それは、誠也にとっても律子にとってもショックだった。
家のローンと大学生の息子の学費を考えるとこのままでは先が見えていた。
「もう俺はだめか」
病院帰りの車の中で誠也はつぶやいた。
「お父さん元気出して、私も頑張るから」
しかしヘルパーの収入は20万足らず、数か月は持ちこたえたとしても限界は見えていた。
(なにか少しでも収入の増やせる仕事を考えなければ)
誠也が寝た後も律子は求人広告を見ながら考えていた。
(そうだ)
ふと高橋からの封筒の事を思い出した、しまい込んだバッグを取り出して封を切るのだった。
その頃、橘プロでは高橋の報告があった。
「社長、いい女見つけました、また一度写真でも撮って見せます、応募用紙も渡してありますので応募してくれば分かりますが」
「そうか、幾つぐらいだ」
「四十代でしょう、顔も色っぽいですし、容姿は間違いありません」
「そうか、監督にも知らせておけ作品は「覗き穴」で行きたい」
「素人作品ですね、監督の要望ですか」
「そううだ」
監督は三船重蔵といって相当の長老である、しかし熱く燃える男で今も現役だと吹聴する男であった