朔太郎の母の秘密 現在-7
「ちょっとやめてよ。恥ずかしい。」
母親の目が朔太郎の手の動きを追っている。
もしかしたら、シミでもあるのではないか。
いや、もしかして、ローションが垂れたまま、残っているのでは?
恐らくはそんなことを心配し、慌てているのだろうか。
朔太郎は糸くずのようなものを指の先で摘まみ上げ、母親の方へ差し出した。
「はい。なんかの毛かなあ。」
「ちょ、ちょっと、まさか、だって、わたしは…。」
「あ、ごめんごめん。ただの糸くずだった。」
つぐみは自分が永久脱毛していることは家族全員の周知の事実であったことを、
すっかり忘れるほど動揺していた。
「いや、寂しいんじゃないかなって思ってさ。特に夜とかさ。」
「まあ、一人で眠るっているのは確かにね。
いっつも隣にいた人がいないって言うのは、確かに寂しいけど。
でも、お父さん、いつだってそばにいてくれる気がしてるから、大丈夫よ。」
「ア、ナル、ほど、ほど、に、ね。確かにお袋たち、
どっちかが尻に敷かれてる、とかじゃなくって、仲、よかったもんな。」
「し、し、尻に敷かれるって、そ、そんな関係じゃなかったわ。」
母親は明らかに、尻、という言葉にも過剰に反応している。
「そう言えば、どうやって知り、合ったのさ、お袋たち。」
「なんで急にそんなこと聞くの?そんなことより、これからのこと、決めたの?」
「鋭い突っ込み。」
「突っ込んで、なんかいないわよ。当然の心配よ。」
そう言った母親は、自分で顔を赤らめた。
「そう言えば、親父ってお袋と知り合った頃から、突っ込み、上手かった?」
「な、な、何を聞きたいの?急に。どうかした?」
「いや、親父の突っ込みが上手だったのは、
前、からかなのか、後ろ、じゃないや、後からなのかなって思ってさ。」
「知り合った…頃から……。出会った頃から上手だったわ。
でも、どうしたの?急にお父さんのことを朔太郎の方から聞くなんて、珍しい。」
「いや、親父が死ぬ前に、結構な量の写真のデータを渡されてさ。」
「写真のデータ?」
「うん。写真館で撮ったものだと思うけど、
まだ、10パーセントも開いてないけどね。」
「お、お父さんのパソコンのデータ、お前が貰っていたの?」
「ああ。あれ?お袋、知らなかったの?」
「えっ?ええ。パスワードも変わっていたし、もう開けないかと思っていたの。」
「なんだ、言ってくれればよかったのに。何か探したい写真でもあるの?」
「えっ?あ、いえ、別に、そ、そんなの、ない、わよ。」
「まあ、全部開くにはずいぶん時間かかると思うけど、
必要な写真なら、検索ソフトで優秀なやつを入れたから、
検索項目さえ言ってくれればすぐに見つけられるよ。どんな写真さ?」
「あ、いえ、別に、いいの。気にしない、で。
そう、そうなんだ。朔太郎がデータ、持ってるんだ……。」
母親は何やら思案顔になって、下を向いてぶつぶつ言い始めた。
「お袋。何か見られたらまずいような写真でもあるんじゃないの?」
「そ、そんなもの、あるわけ、な、ないじゃない。」
「そう?でも、親父、突然だったろ?
だから、見られたりしたらまずいデータとかも、
消す暇、なかったんだと思うんだ。
亡くなる2日前、なんだか急に親父に呼ばれてさ。
笑いながらだけど、
〔オレに何かあったら、画像データ、お前のパソコンに移してくれ〕って言われて。
〔カメラマンとしてのお前の良心にかけて、きちんと管理するんだぞ〕
って言われちゃってさ。
そしたら、急に死んじまうんだもん。
今までずっと放ったままだったけど、ほら、外出自粛で時間もできたから、
少しずつ整理していこうと思ってさ。
そしたら、たまたま珍しい写真、見つけてね。」
朔太郎は写真館のスタジオで撮られたサクミの写真のことを話そうとした。
「珍しい写真?み、見たの?」
明らかに母親の顔が変わった。
「え?ああ、珍しい、って言うか、不思議って言うか。
お袋に聞けばわかるかなって思ってさ。」
「朔太郎。」
「な、なにさ?」
「見たの?あの写真……。」
「えっ?あの写真、って?」
「だから、見ちゃったんでしょ?わたしの若い頃の……。」
「お袋の?若いころ?いや、そうじゃなくってさ。」
「胡麻化さないで。もう、この際、正直に言ってちょうだい。」
「いや、あのさあ、着物着ている……。」
明らかに母親の表情が変わった。
「着物の………わかったわ。もう言わなくてもいい。」
「なんだよ、正直に言えって言ったばっかりじゃん。」
母親は何か思いつめたような顔で下を向いたまま話し始めた。
「いいえ。あなたから言われる前に、自分から言うわ。
あの写真は、お母さんが成人式の時の写真。
お父さんとは付き合い始めて2年たったころよ。
成人式の写真をうちの写真館で撮ってあげるって言われて……。
どうせなら性人式の写真にしようって、晴れ着の上からあんな風に縄で縛られて。
セルフタイマーで撮った本番写真もたくさんあるわ。」
朔太郎は呆然として、言葉を失っていた。
自分はサクミの七五三の着物姿の写真の話をしようと思ったのに、
母親は着物姿という言葉に異常なまでに反応し、
朔太郎が聞いてもいない自分たち夫婦の秘密を一気に話し始めたのだ。
「どう?お母さんのこと、ううん。お父さんのことも軽蔑した?
朔太郎。あなたの両親はあんな写真を撮るような夫婦だったのよ。」
「お袋。オレ、別にそんなこと……。それに昨日の夜だって……。」
そんな写真、全く見ていないし、探してもいない、
と言おうとした朔太郎の言葉を遮るように、母親がまくしたてた。