雪の華-3
「笑わないで聞いて欲しいんですけど、雪女に会ったこと、ありますか？」
薄く開いた風呂場の窓から花梨の声が漏れてくる。朔太郎は風呂釜の火に薪を継ぎ足しながら、冬にまつわる悲しい物語のあらすじをぼんやり思い浮かべた。
「雪女か……僕はまだ会ったことないなあ。噂では美しい姿をしているとも、醜い姿をしているとも言われているらしいね」
風呂場の窓はちょうど朔太郎の背丈と同じくらいの高さにあるので、その気になれば中をのぞくことも出来るが、彼の良心がそれを許さなかった。
「私、良く間違われるんです。雪女に」
「ふうん、そうなんだ。でもどうしてだろうね」
「髪の色は生まれつき銀色だし、顔も手足も雪みたいに白いから」
「まさか、考え過ぎだよ」
「それに……」
「それに？」
朔太郎は生唾をごくりと飲み込み、少女が次に発する言葉に耳をかたむけた。
「それに私、胸だとかあそこだとか、みんなみんな白いんです」
ちゃぷん、と湯船に張ったお湯の波打つ音がした。誰にも知られたくない女の子の体の特徴を自ら告白するとはどういうつもりなのか。
不思議な力に操られるように朔太郎が立ち上がると、湯煙の向こうから花梨がこちらを見ていて目と目が合う。風呂場の窓が半分ほど開いていて、その限られた視界からお湯の滴り落ちる乳白色の若い裸体が拝めた。
「くすくす……」
微笑する花梨。体つきはまだまだ未熟でも、男の生殖能力を刺激するだけの色香がその微笑には含まれていた。
夢か幻か、あるいは極楽浄土への入り口か、朔太郎は理性の糸が切れたように家の玄関をくぐると、少女の肉体を求めて断りなく風呂場の戸を開け放った。
しかし、そこに花梨の姿はなく、きれいに畳まれた彼女の着物だけが脱衣場のかごに残っていた。
もしや、ほんとうに雪女だったのだろうかと朔太郎が正気に戻りかけた時、寝床のほうで衣擦れの音がした。振り向くと、素肌に羽衣のような布を纏った花梨が布団の上にちょこんと座っていた。そして彼のことをこう呼ぶ。
「朔太郎さん」
まだ自分の名前を明かしていない朔太郎は当然おどろいた。
「どうして僕の名前を……」
「あの日のこと、おぼえてませんか？」
「おぼえてるも何も、君に会うのは今日が初めてだし、それに君みたいな可愛らしい女の子を忘れるはずがないよ」
「私、あなたに一度だけ助けてもらったことがあるんです」
「えっ？」
まさかそんな、おとぎ話みたいなことが現実に起きるわけがない。しかし朔太郎はもうすっかり心を奪われていて、常識が通用しないこの状況に酩酊（めいてい）しているふうだった。
「君は、誰なんだ？」
人助けをしたおぼえがない朔太郎は花梨の正体を知ろうとした。が、一つだけ思い当たる出来事があったのを記憶の片隅から引っ張り出し、その時の光景を脳裏によみがえらせる。
あれは確か、こんなふうに雪の降る寒い夜のことだった。焼き物で生計を立てていた朔太郎がいつものように土をこねていると、玄関のほうで何やら怪しい物音がした。
様子を見るために玄関の木戸を開けてみて朔太郎は目を丸くした。銀色にかがやく美しい毛並みのキツネが雪の上に横たわっていたからだ。
どうやら脚を怪我したらしく、ここまで歩いて来るのもやっとという感じだった。雪の上にはキツネのものとおぼしき足跡が暗闇の向こうまで点々と続いていた。
朔太郎はすぐさまそのキツネを囲炉裏のそばまではこび込み、怪我の具合いを見たり、餌を与えてみたり、それこそ明け方近くまで寝る間も惜しまず介抱した。