水脈-6
十字架が刻まれた布で覆われた棺のなかに眠ったように眼を閉じていたのは、自殺した夫だった。棺の中の純白の花、純白の死化粧、純白の死装……すべてが幸福につながる死のように彼は装われていた。アケミはその白さに眩暈がした。彼がまるでアケミを汚しているような白さだった。
告別式に人が集まり出した頃、アケミが彼らを避けるように密やかにその場を離れ、教会の外に出たときだった。不意に背後から声をかけられ、振り向いたとき、頬をいきなり平手でぶたれた。そこに立っていたのは、顔を覆ったベールの中で涙を溜めていた夫の老いた母親だった。
頬に痛みを感じなかった。母親はアケミを烈しくなじった。言葉は風に流れ、舞い上がり、音もなく消えていった。アケミは逃げるようにその場をあとにした。帰りの地下鉄駅の化粧室で見た自分の顔が、無責任な涙で濡れていた。
鎖で吊られた体が解き放たれとき、全身の肌に鞭の痛みを澱ませながら、ふらついたアケミの体をK…は抱きすくめた。あれほど烈しく鞭でぶたれたというのに、肌に残った条痕はうっすらと霞んでいた。痛みだけが彼女の孤独に刻みつけられていた。
彼はアケミのからだに刻みつけた鞭の痕に満足したように肌を唇で愛撫する。彼は鞭で打たれたあとの彼女の肉体をこよなく愛した。それが彼の愛し方だった。
濡れきったアケミの中に彼の堅いものが突き刺さる。アケミと彼がひとつの肉塊となって繋がる。アケミは、彼が鞭を握る瞬間から濡れていた……いや、もしかしたら今夜、彼と会った瞬間からかもしれない。
K…はアケミの体を背後からゆるりと引き寄せる。彼の膝の上でアケミは、後ろから強く抱きしめられ、アケミの背中と彼の厚い胸が吸いつくと、彼女の胸の前に伸びてきた彼の手が乳房を鷲づかみにして烈しく捏(こ)ね始め、同時に下腹部が烈しく突きあげられる。とても堅く、太く、長いものがアケミの空洞の底まで息をさせないほど埋め尽くした。
片方の掌が彼女の髪を撫で、指先が髪のあいだに愛おしく滑り込んでくる。耳朶に彼の荒い息が吹きかかり、湿った唇が触れる。この瞬間がアケミはなぜか好きだった。すでに腿の付け根に挿入された彼の尖った、堅いものがアケミの中の奥へ奥へと突き上げながらも、耳朶はまるで性器のように彼を感じていた。微かに乱れた彼の息は、耳朶から首筋に粘るように拡がってきた……。
K…と会う場所は、いつもネオン街の薄暗い路地裏にある古びたホテルだった。自分はこういうところでしか求められない女だと思った。アケミの方からK…に連絡をとることは赦されなかった。それは彼の命令だった。アケミは、《彼が必要としたときに求められる女》だと思った。
彼の仕打ちは、悦楽でも、苦痛ではなかった。そこに見えたものはアケミの孤独だけかもしれなかった。
あの頃からアケミは孤独を感じていた。叔父に犯され、叔母に罵られ、結婚し、そして夫を失ったときから。いつのまにか忍び込んできた孤独は彼女をなぐさめ、癒し、目覚めさせた。痛めつけられ、苛まれる肉体は自分の仮面であり、同時に透けた心の先にある、切ない孤独だった。
それでも、ときどき悲鳴をあげそうな孤独の苦痛に快感を得ている忌まわしい自分があった。肉唇の囀る音、割れ目から滴り落ちる蜜汁の音、肉襞の空洞に木霊する音、それらの音が孤独となって肉体の隅々まで侵していった。
色褪せた壁、剥き出しの天井、調度品がなにもないホテルの部屋は、ただアケミが虐げられるためだけにあった。どんな嗚咽も悲鳴もここでは完璧にかき消された。
ライトの淡い光によって、アケミの額と首筋にはじわりと汗が滲んでいた。K…は極太の赤い蝋燭を手に取ると、淫靡な笑みを浮かべながらライターで火をつける。彼女の裸体を淡く照らす炎がゆらりと揺れる。縄で縛られたアケミの体がふわりと宙に浮く。太腿のつけ根を開かされた脚を天井の滑車から垂れ下がった鎖で宙吊りにされ、伸びた脚の指先は天井に向って喘ぐようにそそり立っている。
K…は薄い笑いを浮かべ、アケミの裂かれた白い太腿のつけ根をのぞき込む。そして蝋燭の炎をゆっくり彼女の股間に近づける。妖艶に揺らぐ灯りは、アケミの漆黒の翳りを照らし、草むらの毛穴と肉溝をえぐるように浮き上がらせる。
実に美しい毛並みと肉唇だ……彼はひとりごとのようにつぶやいた。それはアケミの羞恥を微かにくすぐった。男の唇から洩れた吐息が草むらをなびかせる。
私は美しいものを見ると壊したくなる……。そう言って笑った彼は、アケミのふっさりとした陰毛の上で炎を揺らがせ、嗜虐の淫情にとりつかれたように蝋燭の火を淡く煙った草むらの毛先に近づける。
炎が息を吹き返したように色あいを深め、草むらの表面を撫でるように炙りはじめる。淡い繊毛のむらがりがなびき、一瞬、毛先が線香花火のようにチリチリと音をたて焦げる。おぞましいK…の仕打ちにアケミは下半身を悩ましく捩った。自分が彼のものであると思えば、なぜか怖さは感じなかった。甘美な羞恥と被虐感がアケミのからだにひたひたと湧き上がり、自分の中の孤独が艶やかな潤みを増している。