意地を選んで恥辱にまみれ-2
「なにしろ一本につき十億ですからね。実質一回こっきりの契約と思って下さりゃいいです。そう……一回だけ我慢して頂ければ。残酷なようですが、この通りお願いします」
梶谷が目を赤くしながら、床に額をこすりつけた。
「やめとくれよ。お前が謝ることじゃないだろ。憎いのは帝龍会の奴らだ……」
朱代のペンを握る手が力を帯びた。
「乙」の欄には、梶谷のフロント企業である「ビッグエンタ企画」の社名印、そして代表取締役・梶谷慎作の書名捺印があった。
朱代は「甲」欄へ住所氏名を記し、親指を朱肉につけた。
書類二枚にこの指をつければ、契約は法的にも完全に成立することになるのだ。
戸惑っていないと言えば嘘になるだろう。
だが、後戻りは出来なかった。
「吐いた唾は飲まない……」
かつて梶谷に向けて発した「極道の鉄則」は、そのまま朱代に跳ね返ってくることとなったのだ。
(一度きり……屈辱に耐えれば、梶谷の女房子供も無事で済むのよ)
その一事をせめてもの理由にしたい朱代であった。
「……これでいいんだろ?」
拇印を二枚に押し、梶谷に渡した。
「確かに。こちらは姐さんがお手元に持っておいて下さい。釈迦に説法かも知れませんが、契約書は大事です。姐さん……そこに盛り込まれてねえことは、一切する必要ありませんからね」
「ああ。分かってるよ。よく読んだからね」
本人控えの複写を受け取った朱代は、黙ってそれを二つ折りにすると、懐に入れた。
──書かれていないことは、する必要がない。
言い換えると、書かれてあることは守らねばならないのである。
ある意味、重たい盃のようだと、朱代は感じた。