決行へのカウントダウン-1
爆発的に増えた観光客も、ある時期を境に、伸び悩んでいた。
しかし、今年は、早い段階からの宣伝効果もあってか、まだ中日ながらも、久し振りに大盛況と言える観光客数を記録することは間違いなさそうな状況である。
焔民の活動が、大きく寄与していることは、誰しもが認めていた。
今では、なくてはならない祭りの大きな戦力となっていて、その若さもあって、ご意見番的な長老衆からも、頼りにされている。
以前は、慣習に倣って、ベテランや古株、馴染みの人間にしか任されることがなかった役割も、積極的に関与させてもらえるようにもなっていた。
その重役のひとつに、「御火番」と呼ばれる、ご神体を見守る当番がある。
夜間中は、宮司や神社関係者が番をするが、宮司たちの休憩時間確保のために、実行委員が代わりに番をするシステム。
実行委員、自治会役員、町内会役員、焔民の4名が担当する。
迎え火と中火(本来は、中日だが、ここではこう表現する)の2日間。19時から24時までが、お火番帯となる。
本来は、4名いれば十分なはずなのだが、長老衆を中心に、手持ち無沙汰な人間が三々五々集まって来る。
この日も、15人ほどの人数で、お火番をしている。
これだけの人数がいるので、仕事持ちが多い焔民には、負担もあるだろうと、実行委員から、免除的な打診を受けたこともあるが、祭りを運営する一員として出るべきだと言う柏会長の主張を尊重し、毎年当番をこなしている。
臣吾は、仕事の都合があるので、参加できないことは、皆承知している。
それでも、何か役に立ちたいと、近年では差し入れをすることにしていた。
迎え火の、焔民でのお火番担当は、悟と、国井だった。
自治会からは、小野寺と、同じく小堀、大川。各町内会から、山野井、清水、南郷が担当だった。
総勢15人だから、7人は、門外漢である。
しかしながら、祭り好きな人間は、家でじっとしていることが出来ず、毎日のように神社の社務所に集まってくる。
「今年もいよいよ始まりましたな」
顔役の一人、小野寺がお茶を啜りながら呟いた。
「盆暮れより何より、この祭りが一年の計ですからな」
長老衆の一人、小堀が言った。
「あと何年、祭りを迎えられるかと考えることもあるが、祭りが来ると、体も心もしゃんとするんだよ。不思議なもんだよなぁ」
御年90歳。最長老の大川が言った。
90歳とはいえ、足腰もしっかりしており、ゆっくりではあるが、杖なども使わずに歩くことが出来る。かくしゃくと話す様は、90を迎えたとは思えないほどに、はっきりとしている。
「いやいや、最低でも100までは頑張ってもらわにゃあ」
小野寺は、弱気になりがちなこの老人の背中を押す。
「そうそう。ここぞの時は、大川さんの力がまだまだ必要ですよ」
小堀も続いた。
「いやいや、古い人間がいつまでものさばるのは、いいことじゃないのはよぉ分かってるつもりじゃ。若宮司も困っておることじゃし。のぉ」
若宮司と呼ばれた男は、困ったように頭を掻いた。
現宮司には、3人の子供がいるが、全員娘。事実上、長女が跡を取るわけで、婚姻となれば、婿を取るしかない。
それがこの男、本松信太郎。東京都内の出身で、この街に婿入りして2年。ようやくこの街の風土が分かってきたところだ。
「大川さん、あまりイジメないでください。私の立場は良くおわかりでしょう。婿は色々と大変なのです」
苦笑いするこの優男は、物腰柔らかく、文句は言わない。仕事も真面目で、婿としてはかなり上等な部類に入るのではなかろうか。
「真希ちゃんは、別嬪なんだが、ちと勝気じゃからのぉ」
宮司の長女真希は、奈々子と並ぶ、町中屈指の美人であることに疑いの余地はない。ただ、勝気で男勝りなところが玉に瑕。
古くからの氏子である大川は、真希が生まれた頃から付き合いがある。
小さい頃、よく男の子を泣かせていたことも知っている。
「まあ、あれだけの別嬪だから、尻に敷かれる心地も悪いもんじゃなかろうて」
確かにそうだ。あんな美人にだったら、リアルに尻で押し潰されたいもんだ。と、悟は思った。
アルコールは厳禁だが、祭りに突入したこともあって、皆それぞれにテンションが高い。
場の空気も温まってきた頃合い、差し入れを持ったみなみが、社務所を訪れた。
お火番は、男衆の役目であり、女人禁制。とは言っても、全面的に禁止なのではなく、火守り役としては不適なのであって、サポート、いわゆる給仕役としては、問題無い。
「こんばんわぁ。差し入れお持ちしました」
調理役の臣吾が、店を離れることは出来ない。客足を見ながら、タイミングを計って、社務所を訪れたのだった。
「おお、これはこれは臣吾の奥方。いつもいつもすまないねぇ」
ここ最近、毎年差し入れを持ってくるみなみに、小野寺は感謝の意を表した。
「こちらこそ、主人がお力になれなくて。皆さんに甘えてしまっていて」
「何をぉ。いつも美味い飯を食わせてもらってるのはこちらの方なんですぞ」
最長老の大川は、80歳を過ぎて初めてイタリアンの美味さを知った。そのキッカケとなったのが、他ならぬ臣吾の料理だった。それもあって、何かと臣吾夫妻には目を掛けてくれて、実の孫のように可愛がってもらってもいるのだ。
「そう言ってもらえると、主人も少しは気が楽になります。ありがとうございます」
みなみの、田舎の娘には無い都会育ちの洗練された可憐さは、長老衆からも人気だった。
「暑いのに悪いね。店の方も忙しい時に」
悟が、氷の入ったバケツで冷やしていたソフトドリンクを、みなみに差し出した。
「ありがとうございます。今年は、いつも以上に熱くなりそうですね」
この日は、例年よりも3度ほど高い日中だった。
額にじっとりと浮き上がる汗を拭うみなみの脇の下が、悟の目に入った。