なぜ…-9
瀬奈は集中治療室にいた。丸2日間意識を失っていた。幸い命の危険は峠を過ぎ大丈夫だとの事で、康平と美香はずっと付きっきりで瀬奈のそばにいたのであった。
「お父さん…」
声も痛々しい。康平は慌てて話す事をやめさせる。
「瀬奈、今は何も言わなくていい。まずは体を治す事だけを考えるんだ。」
医師からは生きていたのも不思議なぐらいだと言われた。80キロで走る電車から飛び降りた場所は鉄橋の手前だったと言う事だ。当然鉄橋に接触していたならば命はなかった。しかし幸いにも瀬奈が落下した場所が堤防の草むらの上であり、アスファルトの地面などに叩きつけられるよりは草がクッションになり体へのダメージが少なかったとの事だ。それを聞いた康平と美香は、きっと神様が瀬奈を大事にする時間を与えてくれたのだと思った。例え今後瀬奈の体に障害が残ろうとも、神が与えてくれたこのチャンスを、夫婦揃って絶対に活かそう、そう思っていた。
会話する事を止められた瀬奈だが、体に対する不安、これからの人生に対する不安、様々な不安に襲われ、何かを口にしていないと自分が壊れてしまいそうな気がした。
「どうしてかな…。どうして上手く行かないんだろう…私の人生…」
「だから今は喋るな…」
康平の声がまるで聞こえていないかのように言葉を続ける瀬奈。
「自分がいいと思った道を選ぶと、必ず上手く行かない…。」
「瀬奈…」
「私ってこんなに笑わない子だったかなぁ…。結婚してから私、笑った事あったかなぁ…。それどころか気付けば暴れてて声が枯れるぐらい怒鳴ってて…発狂して…。変な目で見られて…。私、ずっとお父さんとお母さんにとっていい子でいようって頑張ったんだけどなぁ…。ごめんね?こんな娘になっちゃって…」
「せ、瀬奈は私達にとって愛する自慢の娘だ!今も昔も変わらないんだぞ!」
康平の言葉は遠くから微かに聞こえるぐらいにしか瀬奈の耳には届かないようだ。瀬奈は両親を思いながら独り言を呟いているような、そんな様子に見えるのであった。
「やり直したい…、ちゃんとしなきゃっていつも思ってるんだけどなぁ…。やり直そうとする度に…。無理なのかな…私が人生をやり直すのは…。きっと無理なんだね。私はもうずっとこのまま…」
包帯から覗く目は天井を一点に見つめていた。そんな我が娘を見つめ、康平と美香は瀬奈を不憫に思わずにはいられなかった。
「会いたかったなぁ、海斗に…。」
海斗の名前を口にする瀬奈の声だけには不安を感じさせない穏やかな声であった。
「海斗…、海斗ぉ…」
康平は胸が苦しくなる。そんな娘を見て目頭を押さえながら集中治療室を出て行ったのであった。