なぜ…-7
「お、落ち着いて下さい!!」
一番追いついていないのは自分かも知れないと思う余裕すらない。副車掌は腰が引けていた。乗客を守るのか自分の身を守るのかも良く分からない姿で瀬奈を説得する。
「あなたこそ落ち着きなさいよ!!」
興奮気味に怒鳴る瀬奈に副車掌は足が震えている。頭の中に様々な事が思い浮かぶ。あんなもので殴られたらきっと死ぬ…、もう子供に会えない、まだしてやりたい事がたくさんある、妻にも会えない、いや、このまま死んだら隠してあるAVが…、などなど余計な事まで思い浮かんで来る。もはや瀬奈を取り押さえる事よりも自分の身を守る事を優先する自分がいた。
「は、早く取り押さえて下さいよ!!」
「何とかしてください!!」
恐怖に怯える乗客から副車掌に向けて声が飛ぶ。
「で、でも…」
「あんた車掌だろ!?何とかしろよ!!」
「い、いや、私は副車掌でして…」
「んな事どうでもいいよ!何とかしろ!!」
車内は混乱していた。そこまでの責任が自分にあるのかと思いながらウザい声に背中を押されて副車掌はジリジリと瀬奈との距離を縮める。
「来ないで!!」
「は、はい…」
「早く行け!!」
「は、はい…」
副車掌は半歩前に出て、まて半歩下がる繰り返しだ。このまま次の駅に到着し、応援を待つのもいいかなとも思った。しかし車掌からの連絡で、タラタラしてないでさっさと保護しろとの命令が副車掌の足を前に進ませる。
それまでとは違い、副車掌が確実に自分に近づいてくると察した瀬奈の表情が更に険しくなる。
「自分の未来は自分で守る!あなたなんかに…、いえ、誰にも私の未来は奪わせない!!」
瀬奈の目には迷いが全くなかった。瀬奈は通路中央から窓際に走る。そして手に持っていた金槌を振りかざし、電車の窓ガラスを粉々に叩き割った。
「きゃー!!」
悲鳴が響く車内に風が入り込み吹き荒れる。瀬奈の髪や服が激しく風に靡く。
「や、やめて下さい!!」
瀬奈が窓から飛び降りようとしているのは明らかだ。電車は時速80キロは出ている。こんな状況で飛び降りれば軽傷で済む訳がない。副車掌は初めて瀬奈の身を心配して瀬奈に向かった。
「海斗…」
そんな声が風に乗り副車掌の耳に届いた。
「あっ…!!」
あと一歩、あと一歩の所で瀬奈が身を乗り出し窓からその体を投げ出してしまった。瀬奈には車内の悲鳴は全く聞こえない。窓から体を投げ出した瀬奈はまるで空を飛んでいるかのような気分になった。不思議と恐怖は感じなかった。空を飛ぶ鳥と一緒に、このまま海斗の元に飛んで行けそうな気がした。
「海斗、もうすぐ行くよ…」
瀬奈は翼のように手を広げて空を見上げた。海斗も見上げているだろうか。今、同じ空を見ているだろうか。瀬奈は空で繋がる海斗への愛を胸に抱きながら視線を落とす。瀬奈の目に映ったのは空ではなく絶望と言う名の堅い堅い地面であった。
瀬奈の意識はそこで途切れた。