『瞬きに願いを込めて……』-2
私は食べる手を止めて、静かに箸を置く。不意に思い出してしまったあの日の出来事が、口に含んだわずかな量さえ飲み込む事を妨げる。あれから一ヶ月が過ぎ、私は気持ちの整理をつけるために旅に出たはずなのに……
だけどさざ波のように感情が押し寄せて、心は千々に乱れた。抑え切れない感情に突き動かされるように、私は部屋を飛び出す。
何の為に?
泣きたいから?
叫びたいから?
このまま部屋にいて、自分が独りだという現実と向き合いたくないから?
きっと……
どれもこれもが間違いで、どれもこれもが正解。
衝動に突き動かされるまま夜道を私は走っていた。
一番の理由は誰もいない場所で感情を開放したかったからだろう……
走り疲れて歩みが止まり、喘ぐ自分の呼吸だけが辺りに響いた。月明かりに照らされた夜道に人の気配は無い。
『君を嫌いになった訳じゃない。君よりも愛する女性が現れてしまったんだ。』
人は処理出来ない状況に出くわすと感情が消えてしまうらしい。あの時、あなたの告白を聞いても私は無反応だった。
『やっぱり君は強いよな。今までありがとう……』
去り際のあなたの言葉が蘇ってくる。
「うっ、うっく……うぅっ…」
知らず知らずのうちに私の口から鳴咽が洩れる。誰もいないという状況が私の心のタガを外してしまったのか鳴咽は泣き声に変わり、まるで子供のように私は泣き続けた。
「強い訳じゃ……ないわ。なんて…言ったらいいのか……わからなかった…だけ…なのに……」
そうして私はどのくらい泣いていたのだろう。まだしゃくり上げていたけれど、ようやく落ち着きを取り戻し始めた私の耳に虫の音に混じってサラサラと流れる水の音が聞こえた。どうやら、すぐ傍に小川が流れているらしい……
その音に導かれるように、私はゆっくりと歩き出す。小川の音が次第に大きくなり薮を掻き分けた時、私の目の前を光がよぎった。
……ふわり……
……ふわり……
淡い緑色の光達は明滅を繰り返しながら、あちらこちらを飛び交っている。
「……蛍……」
目に映る幻想的な光景に、つかの間私は岸辺に腰を降ろして佇んでいた。
『知ってるか?昔、蛍は人の想いを運ぶものって言われていたんだってさ……』
記憶の底から浮かび上がる想い出が新たな涙を誘う。こんな時でさえあなたの言葉が私を苦しめて瞳に映る淡い光がさらに滲んでいく……