陵辱と欲情の夜-2
母親の足音が遠ざかっていくのを聞きながら、開け放たれた窓の外へと視線を向けてみる。
生け垣と背の高い木々に囲まれ、家の中の様子を直接覗き見ることはできない。
それでもアイは簡単に隣家の内部を細かいところまで思い出すことができた。
隣に建っているとはいえ、八坂の家はアイの実家と比べ物にならないほど広い。
敷地内にはブランコなどの遊具の他に小さな池や噴水があり、主に家族が暮らす大きな二階家を中心として、使用人たちが暮らす家や子供たちの勉強部屋、物置小屋などが点在している。
使用人の数も多く、駐車場には高級車が何台も並び、専用の運転手までいたように記憶している。
いわゆる大金持ちの家だ。
生活レベルは違っても八坂の家の代々の当主が子供好きであったため、近所の子供たちに混じってアイも幼い頃から毎日当たり前のように隣家に出入りして遊んでいた。
なにしろ、そこにいると退屈することがない。
常に大勢の人々が出入りする八坂邸には目新しいゲームや玩具が山積みだったが、中でもアイのお気に入りだったのはアトリエでの探検とお絵描きだった。
アトリエは敷地内の東の端にある小さなログハウス風の可愛らしい建物で、周囲を背の高い樹木に囲まれていることから秘密基地のような雰囲気もあった。
静かで、どこか他とは違う素敵な場所。
他の子供たちから離れてアトリエまで駆けていくと、いつもひとりの青年がドアを開けて優しく迎え入れてくれた。
八坂史規(やさか ふみのり)。
五人兄弟の末弟で美大生、すらりとした長身と涼やかな目元が印象的だった。
いつも細身のジーンズにTシャツといったラフな服装で、始終絵ばかり描いていた。
賑やかな八坂邸の中でひとりアトリエにこもっている少し変わった人だと近所でも噂になっていたが、そんなことは気にもならなかった。
まだ幼かったアイの目から見れば、数々の絵の具を塗り分けて一枚の絵を仕上げていく史規の姿はまるで魔法使いのように不思議でわくわくするものだった。
わたしも、あんな絵が描いてみたい。
憧れにも似た気持ちでアトリエに通いつめて筆を持ち、史規を真似て絵の具を混ぜてみたものの、ちっとも思うような絵が描けない。
納得いかないアイはわんわん泣いて筆を放り投げたりもしたが、史規は決して怒らずアイの手をとってまた一から新しい絵を一緒に描いてくれた。
ときにはアイをモデルにして、可愛らしいお姫様の絵を描いてくれたこともあった。
それでも気に入らなくて拗ねたときには、抱き上げてよしよしとあやしてくれる。
作業の邪魔ばかりしていても、気に入らないことがあってわざと完成した絵を汚しても、史規に叱られたことはなかった。
退屈させた僕が悪いんだねと困ったように笑い、ぎゅっと抱きしめてくれる。
ひとり娘でわがままだったアイの相手を嫌がらない、常に温厚な史規。
好きだった。
他の子にとられたくないと思うくらい、本当に大好きだった。
アイがあまりにも史規の話ばかりするものだから、両親は「アイちゃんの初恋の人はずいぶん年上だねえ」とあきれたように笑っていた。
出会った当時、史規はまだ二十代半ばだったはずだ。
それでもアイが「八坂のおじさま」と言ってなつくのを快く受け入れ、それ以来アイの中では「おじさま」で定着している。
史規は大学を卒業してからもアトリエにこもって創作活動を続け、 アイも彼を慕って八坂邸に毎日のように通う日々を過ごした。
一緒に絵を描いて、おしゃべりをして、気ままに過ごす時間。
血のつながった叔父と姪のようにほほえましいふたりの関係。
それが一変したのは、アイが二十歳になった夏のことだった。