第一話 陶芸工房「篠田」の悪夢-2
≪陶芸工房「篠田」≫
「明美ちゃん、力が入りすぎ」
「あ、あああ…やっぱりダメか」
篠田(しのだ)潤子(じゅんこ)が声を掛けた時は遅かった。ろくろの上でほんのちょっと傾いたかと思う間もなく、ぐにゃっと右に折れ曲がってしまった。
「さあ、もう一度やり直してみましょう」
「はあーい」
陶芸教室は賑わっていた。
潤子は大学生の頃、岡山県で見た「備前焼き」が忘れられず、各地を訪ね歩いた後、ここで陶芸工房「篠田」を営んでいた、当時40歳の篠田義彦(しのだよしひこ)に弟子入りした。
「そんなことで、いい作品ができるか、馬鹿者!」
義彦の教えは厳しかった。土選び、土こね、ろくろ回し、乾燥、火入れ、上薬ぬりと、一切の妥協を許さず、気に入らないと、竹の棒が飛んでくる。弟子たちの手や足には、その棒で叩かれた跡が消えたことはなかった。
だが、彼が「よし」と評価した作品はどれも高値で取引され、この工房から多くの陶芸家が巣立っていった。
しかし、時代が変れば、受け入れられていたものが受け入れられなくなる。ここも例外ではなく、弟子が一人去り、二人去り、最後に残ったのは潤子一人だった。
「お前も出て行っていいぞ」
50歳になっていた義彦は、その失望感から酒びたりになっていたが、修行を始めて10年、31歳になっていた潤子は「私は先生についていきます」と工房に移り住み、そのまま彼の妻となった。
それから5年後、義彦は肝硬変でこの世を去ったが、後を継いだ潤子は製作の傍ら、工房を開放し、陶芸教室を開いた。以来、3年、生徒数も多くなり、経済的な余裕も出来てきた。
リリーン、リリーン、リリ−ン…
「あら、時間になっちゃった。明美ちゃん、続きは来週ね」
「はあーい」
「先生、さようなら」
「はい、ご苦労様」
プロになりたい訳ではない。趣味として陶芸を楽しむ生徒たちは、時間がくれば、途中でも帰っていく。
「いいのよ、それで」と潤子も割り切っていた。