七日目のプール-1
「……だからさ、別れてほしいんだ」
アブラゼミの声が響く夏の日。無くしてしまいたい告白をかき消してはくれなかった。
ある意味お決まりの振られ方だった。「放課後大事な話がある」いかにもな体育館裏。あたしはフられる前から、逆にフったように強がって、妙な勇気を身につけてはいたけど、悲しいかな今日の決戦ははじめから完璧な負け試合だったんだ。
ざぷん。
柵の向こうには高くて見えないけれど水をたっぷりと貯えたプールがある。頭のなかのプールの水面には白い雲とビート板が浮かんでいる。
ふと空を仰ぐと思った通りの灰色の天気だった。空気も湿っぽくて汗が制服のブラウスに吸われていく。頭のなかのプールには雨が大量に降り注いでいた。
もしこの生ぬるい皮を脱ぎ捨てることができたらどんなにいいだろう。
水泳部の部員はいなかった。更衣室には授業で使った名残か床に湿っぽさが残っている。そこで紺の靴下を脱ぐ。高くまとめ上げた髪にとまっていたキラキラのくちばしピンを外して棚の上に置いた。
「暑い…」
幼児の昼寝中のうわごとのように呟いた。
ざぷん。
水飛沫をあげて薄皮が剥がれていく。色々な感情に満ちたあたしの一部だったもの。水を吸った制服が重い。
プールサイドになんとかあがって、ずるずると暗い色のアスファルトに水の足跡をつける。
視界を上に戻すと見慣れた制服があって驚いた。さらに上にはもっと見慣れた顔があったから無理矢理微笑んだ。
「なにしてんの」
「ん…着衣水泳」
よくよく見ればこの蒸し暑いのに目の前の男は汗をかいていない。頭のてっぺんから爪先まで塩素の液体に濡れたあたしとは対照的だった。
「ばか」
すっと手を伸ばしてあたしの髪の毛を一束とる。水の粒が涼の指先を濡らした。名前まですずやかだ。
「服を着てても気持ちが沈まない訓練…だって普段裸のときなんて無いからね」
「もう隠さなくてもいいよ」
「涼がいるから？」
「ううん。あいつがいないから」
水滴に濡れた手が首筋を撫でた。
「あたし卑怯なのかな。こういうのなんて言うんだろ。狂言離婚？」
「結婚してたんだ」
首筋の手が頬に移動した。
「してもいいくらい好きだったよ。けど全部あんたのせい。全部…ぐちゃぐちゃ」
「そうだよ。俺のせいだ。けど、俺のことが好きなくせにあいつと付き合ったお前も悪い」
頬の手が離れた。
「…あたしのこと好きなんかじゃないくせに」
「好きさ。だからあの時キスした」
「裕也の目の前で、わざと？」
「うん」
あの時の裕也の顔がフラッシュバックした。信じられないよね、あたしあの時世界で一番幸せだっんだ。裕也の幸せと引き替えにして。
「美音は俺に全てを見せてくれるから好きだよ」
ちゃちな復讐。裕也の元カノは涼の元カノ。そしてあたしはそんな幼稚な考えを見抜いてるのに裕也の目の前で涼とキスをしてフってもらった。
「あたしも涼が好きだよ」
でも全部はあげない。涼に受けとめてもらうのはプールに溶けたあたしの一部。嘘・他人への恐れ・残酷な心・後悔…それと本物だと信じたい愛情。