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『月光〜届かざる想い〜』
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『月光〜届かざる想い〜』-2

佐倉が天寿を全うしないことは、なんとなく分かっていた。
彼の精神が社会生活についていけなくなって、仕事を辞めた2年前からは。
それでも佐倉は一生懸命、婚約者と一緒にリハビリに励んでいた。
いつかまた仕事をし、普通の社会生活を営んでいけるようになろうと頑張っていたのだ。
佐倉の婚約者は職場で出会ったという佐倉より2つ下の女の子で、美人で気丈な娘だった。
佐倉をよく支え、佐倉が仕事に復帰した時を条件に結婚するのだと言っていた。
そう、去年の夏。
私と佐倉の誕生日、初めて佐倉は彼女を私に引き合わせたのだ。
これからの誕生日は彼女なしではいられない、と言われてショックを受け、そのまま家に帰って純に電話し、それまで引き伸ばしていたプロポーズの返事をした。
佐倉が私を好きでないことくらい分かっていた。彼と自分が結婚しないことも知っていた。
けれども、ショックだった。
たった一つの誰にも侵されない聖域であると思っていた誕生日に、他の誰かが立ち入ってくるなんて。
それを他でもない佐倉が許すなんて。

「美波さん。ココとココとココの文章おかしいですよ。もうちょっと集中してやってください。」
後輩に怒られてしまった。
今日はもう駄目だ。
「午後から休んでもよろしいでしょうか。具合が悪いのです。」
上司は苦々しい顔をしながらも頷いてくれた。
多分、私の喪服に気付いていたのだろう。

ふらふらふらふらふらふら……
気が付いたら西口公園にいた。ウェストゲートパーク。
ここを舞台に斬新なテレビドラマが始まったのはいつだったか。
子供のいない、大人のための公園。
行き着けの学生用バーも居酒屋も、ここから半径500メートル以内にあった。
フラフラになると、よくこの物騒な場所で酔いさましをしたっけ……。
感傷的になっている。
思い出に浸りすぎている。
思い出に食われてしまう……いや、食われて狂ってしまうことができるのなら、どんなに幸せだろうか。
一回だって寝たことも無い男に、私は何ゆえにこんなにも縛られるのか。
キスも、手を繋いだことさえもなかった。
一度だけ触れたことはあった。
それは、彼の爪を切ってあげたとき。
何故か空き教室で爪を切り始めた彼の爪切りを取り上げて、私はその爪を切ってみた。
心臓がバクバクいった。
親指であったのに、深爪になってしまい、佐倉は「怖い」と言って私から爪切りを奪ってしまった。
何故かほっとしたのを覚えている。
武骨な手。
ピアノを弾けてしまうその指は、もっと繊細な形をしているものだと思っていたのに。
男の人の手に触れるのは初めて、なんて冗談でも言えないほど遊んでいた筈の私だったのに、指先から佐倉に知られてはならない何かが伝わってしまうのではないかと、びくびくした。
彼は私を好きではなかった。
では私は?
「好きだったんでしょ?」
佳代子の今朝の電話の声が頭の中で木霊する。
フルフルと首を振った。
そういう訳ではない。
ただ……後悔している。とても。
彼が死ぬことに気付けなかった自分。
彼が精神を壊すことを黙ってみていた自分。
本当に精神的双子なら何か出来たのではないか…。
出来なくても、一緒に壊れることを何故選べなかったのか…。
今何故、壊れることができないのか。


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