@若菜結婚-1
@若菜結婚
指定されたレストランには15分も早く着いてしまった。
1年前に井上モータースの経理部に就職して以来、社長からは再三のプロポーズを受けている。
社長の秀志は仕事には燃えるように取り組むが成功した経営者特有の冷徹さをも持っている。
ただ、若菜だけには素の自分で付き合ってくれる優しい男だ。
18歳の年の差は気にならなかった。
今まで返事を伸ばしてきたのは彼の一人息子光一の存在だ。
私に光一の母が務まるだろうか。
幼い子ならともかく16歳の高校生なのだ。
「佐伯君待たせたね。」ボーイを呼びあれこれ指示をした後、2つのグラスにワインが注がれた。
「今日はいい返事が貰えるよう命がけで来たんだよ。」少しはにかんだ様子で心情を訴えた。
その少年のような仕草が若菜は好きだった。
「ただ光一君の母になれる自信がないの。」
「光一も今は生意気で不愛想な子だが本当は心の優しい奴なんです。
今は反抗期で難しい時期だが君となら上手くやっていけると思うよ。
僕はその辺も見込んで君に求婚したんだよ。君の責任ある働きぶりでそう思ったんだ。」
食事が進むにつれて秀志の弁舌は冴えわたる。
一介のセールスマンから社長に上り詰めたその営業力を発揮する。
若菜もだんだんその気になり秀志の妻になり光一の母になっても上手くやっていけるような気持ちになっていた。
食後、秀志が取り出したエンゲージリングに左手を差し出していた。
「僕は妻を亡くしてまだ一年なんだ。派手な結婚式は控えようと思うのだがそれでもいいかい。」
「両親は残念がるかもしれないけど私もその方がいいわ。」
この井上モータースに就職する前は田町新次郎という男と同棲していた。
もちろん結婚するつもりでの同棲だ。
夫婦と変わらない生活を2年間続けた後生活力のなさを暴露し始めたのだ。
若菜の収入を当てにし欠勤する日が多くなってきたのだ。
「そんな事じゃ結婚できないわよ。」「わかっているよ」と言いながら生活態度は変わらなかった。
その事は友人たちみんなが知っていることだから結婚式はしたくなかったのだ。
甲斐性はなかったが優しくていい男だった。
俳優にしてもいいくらいのイケメンで若菜の女を開発したのも彼だった。
翌日、秀志の自宅を訪れることになった。息子の光一に結婚を報告するためだ。
若菜の不安が的中した。
「父さん。母さんが死んでまだ1年だよ。しかもこんな若い女と一緒になるなんて僕は認めないよ。」
それだけ言うと二階の自室に戻ってしまった。
「若菜すまん。事前によく話しておくべきだったな。なんか言い辛くてな。でも大丈夫だ。
家政婦には十分な報酬を渡して辞めてもらう。あの子の面倒を見てやればきっと母親として認めてくれる筈だ。」
若菜の両親、秀志の両親へのあいさつも終わり来月から同居することになった。
井上家の朝は忙しい。光一は8時、秀志は8時半に家を出る。若菜は6時半に起きて食事の用意をする。
二人を送り出した後、掃除と洗濯だ。でも生活が充実しているためだろう若菜は幸せに輝いていた。