薄荷-1
「な、なんですか」
いきなり腕を掴まれて、僕は驚いて健吾を見つめる。
言葉を受けて、健吾は慌てて手を離した。
「ご―――ごめん。ただ、吉田君が」
泣きそうだったから。
健吾はそう云って俯く。
「ユリが云ってたんだよ。谷町さんも辛かったんだね、って云ったって。それは」
「違います。辛い事なんかありません」
切り捨てるように、きっぱりと云う。僕に訊かないでくれ。
僕の悩みは、人に云えないんだから。
「でも」
「云えないんです。僕はユリさんとは違うんです」
それだけ云って、僕は下を向いた。
用具室の床だけがこの世界の全てのようだ。そうだったら幸せなのに。
「でも、話したら楽になるよ」
健吾は優しくそう云う。
あんたは何にも解ってない。
ただ一言告白しただけで世の中がひっくり返る事があるって解ってない。
僕はクローゼットの中から出られない。
外の世界は怖いんだ。怖いんだよ。誰もが皆僕を嫌って、厭う気がする。
僕が皆と違うから。
「ごめんなさい。云えないんです」
拳を握りしめると、涙が浮かんだ。
鼻が痛い。
泣いたら駄目なのに。
「辛いんだね」
健吾がぽつりと云った。
僕はつい、彼の顔を見上げてしまった。
「そんなに辛いのに、云えないんだね」
健吾は本当に悲しそうな顔をしている。
どうしてそんなに優しいんだ。
きっと、解ってないからだ。
解ってないから、優しく出来る。
僕の事を知ったら、優しく出来ないくせに。
云ってしまいたい。けど、云ったら駄目だ。
この学校に通えない。折角合格して部活も楽しくて、友達も出来たのに。
それが全部失われてしまう。
でも。
僕は怒っていた。
健吾が、優しい言葉を云いたいだけの偽善者に見えて。
気持ちを受け止める事なんて出来ないくせに、耳触りの良い言葉だけを並べたいんだろう、と。
全てを失うのは怖くて堪らない。
けれどそれでも僕は、健吾にショックを与えたかった。
適当な飾りの優しさならいらない。余計に辛さが増すだけのお荷物だ。
僕は呟いた。
「僕はゲイなんです」
「え?」
「僕は男が好きなんです。気持ち悪いでしょ?だから、もう放っておいて下さい」