亜紀-9
「50万円払わないと帰さないとか?」
「まさか。しかし僕も現地に行ったことは無いが、そういう気にさせるような施設があるということなんだろうな」
「頭に何か被せて電気を通すとか?」
「さあな、裸にして縛ってムチ打つんじゃないか」
「わあ素敵、そういうの大好き」
「まあ君の人生だ、好きにすればいい」
「そんな冷たいこと言わないで。一緒に行ってくれるでしょ?」
「なんで僕が君の為にそこまでしなけりゃいけないんだ」
「だって婚約者ですもの」
「馬鹿者」
「あの水色の服の女の人、管長補佐なんですってね」
「それがどうした。誰に聞いたんだ」
「あの黒い服着た怖い顔のおばさん」
「ふん。体験修行に行ってそんなこと言うと、本当に縛ってムチで打たれるぞ。あのおばさんのことは先生と呼ぶんだ」
「分かっているわよ。健介さんだからちょっとじゃれているのよ」
「健介さんなんて気安く呼ぶな」
「じゃ健ちゃん」
「余計悪い」
「それじゃ小野田ちゃん」
「それはやめてくれ。管長補佐が僕をそう呼ぶんだ。そう言われると首筋の辺りがゾクゾクしてきていけない」
「それ、気持ちいいっていうこと? それとも気持ち悪いっていうこと?」
「気持ち悪いっていうことだ」
「それじゃなんと呼べばいいの?」
「呼ばなくていい」
「それじゃ話しかける時なんて言えばいいの?」
「話しかけなくていい」
「取り付く島も無いって感じね。おじさんって言えばいいの?」
「どうしても呼びたければ小野田さんと言えばいい。僕の名前は小野田と言うんだ」
「そんなこと知っているわよ。知っているからさっき小野田ちゃんて言ったんじゃない」
「だからそれはやめてくれ」
「それじゃ小野田さん、ねえ、どうしたらいい? 体験修行すっぽかしたらいいの?」
「相談カードに書いた住所氏名は本当のものなのか?」
「本当よ。嘘は年齢と職業だけ」
「それから相談の内容もだな」
「それは満更嘘でも無いわ。小野田さんのこと好きになってきたみたい」
「馬鹿を言うな」
「それでどうしたらいいの?」
「君はつくづく馬鹿だな。住所氏名が本当なら、すっぽかせば担当教師がしつこく君を追いかけ廻すことになるぞ」
「えー、困ったな。どうしよう、ねえどうしたらいい?」
「さあね、知らんな」
「そんな冷たいこと言わないで考えてよ」
「初めの計画通りにすればいいんじゃないか?」
「初めの計画って?」
「電車に飛び込んで死ぬというやつ」
「またそれを言う。1度救ったものなら責任持って又救って頂戴よ、お願いよぉ」
「全くそんな化粧なんぞして大人の振りをして、困ったことになると途端に子供に還ってお願いよぉと来る」
「お化粧は嫌いなの?」
「いいや好きだ。しかし化粧は子供のするもんじゃ無い」
「私20才だもの、お化粧くらいしたっていいでしょ」
「化粧して女になったら、男に甘えるな」
「あらあ、女はいくつになっても男に甘えるものよ」
「全く若干20才にしてそんなことを言うのか」
「ねえ小野田さん、助けてぇ」
「あの時何も考えずに君を助けたりしたのが馬鹿だった。余計な親切心を起こすとろくなことが無い」
「そうよ、一度助けた者を見捨てるようなことはしないで」
「腹が立つ」
「そんなに怒らないで。もう十分反省しているんだから、馬鹿なことしたなって思うわ」
「君の馬鹿は分かっている。僕は自分に腹を立てているんだ」
「どうして? 小野田さん何も悪いことはしていないわよ」
「当たり前だ。ただ浅はかなことをしてしまったんだ。別に下心があった訳でも無いのに君と関わってしまったんだからな」
「それじゃ下心持って私と関わればいいじゃない。そうすれば浅はかでは無くなるでしょ」
「大人のようなことを言うと思えば、思慮の無い子供のようなことを平気で言う。下心を持って私と付き合いなさいと女が男に言ったりするものか」