亜紀-5
「やあ、待たせたみたいだね」
「あ、暇だから早く来て本を読んでいたの」
「ほう、どんな本なのかな」
「詩集です」
「それはいい趣味だね。僕も昔は詩を良く読んだ」
「本当? 誰の詩?」
「いろいろ。オマル・ハイヤムからオクタビオ・パスまで」
「それ誰? 2人とも知らないわ」
「うんまあ詩人だな」
「驚いた。おじさんが詩を読むなんて」
「馬鹿にしてはいけない。人は見かけによらないんだよ」
「恐れ入りました。ところで変な格好の女の人が入って行ったけど、あれは何?」
「変な格好?」
「水色の薄い生地の変な服の人」
「え? するとひょっとして僕のことを聞いていたっていうのは、君のことなのか?」
「そうよ」
「僕の婚約者だって言ったのか?」
「うん、どっかに名簿か名札でも無いかと思って見ていたら後ろから急に声を掛けられたから、慌てちゃって『小野田はいますか?』って言っちゃったのよ。そしたら『あら娘さん? 』って言うから『はい』って答えてから慌てて『いえ婚約者です』って言ったの」
「なんでそんなことを言ったんだ?」
「だって娘なんかいなくてあの人がそれを知っているってこともあるじゃない。そしたら怪しまれちゃうから慌てて婚約者だということにしたの」
「それは随分迷惑なことを言ってくれたな」
「いいじゃないの。若くて可愛い婚約者がいて鼻が高いでしょ」
「何を馬鹿なことを言ってるんだ。君と僕では親子ほども年が違う。僕は皆にさんざんからかわれて、一体誰がそんな出鱈目を言ったんだろうと思っていた」
「あら、私だと思わなかったの?」
「いや君のことは全然思い付かなかった。教団には若い女の信者がいっぱいいてね、その中の誰か頭のおかしい人がそんなことを言い出したのかと思っていた」
「そうなんですってね。若い子も大勢いるって聞いたわ。楽しい職場なんでしょうね」
「何を言ってるんだ、君は。失恋して自殺するっていうのはどうしたんだ? 今からでも遅くは無いよ」
「あらぁ、自殺はいけないよって言ったのはつい数時間前のことだったんじゃないの?」
「考えが変わった。時には自殺した方がいいこともある。って言うより自殺した方がいい人もいる」
「酷いこと言うのね。私彼のこと忘れたくて何かに熱中しようとしている健気な女の子なのに」
「ふん、で何に熱中しようと言うんだ?」
「だからおばさんのことよ」
「おばさん?」
「本学寺に入れあげて300万円も寄付したって言ったでしょう」
「ああ、そうだったね」
「どうしたらおばさんの目を覚ましてあげられるの? どうやったらそのお金取り戻せるの?」
「まず第1に金は取り戻せない。それから第2におばさんの目を覚ます必要も無い」
「まあ、どうして? 今朝とは随分違うじゃないの。私が行くつもりだったって言ったらあんなに真剣に止めてた癖に」
「僕の態度は今朝と同じだよ。君があの寺に行くというならやめろと言う。しかし既に信じて金まで出している人に対して真相を暴露することは無い」
「どうして? 騙されたままでいろって言うの?」
「そう。おばさんの悩みはどういう悩みなのか知らないが、本学寺を信じて300万も出したっていうことは、疑いなんか全く持っていないということだ。そんな人にあれはインチキ宗教だと言って、聞く耳持つと思うかい? それよりも信じることによって心の平安が得られたのなら、そのままそっとしておいてやる方がいいんだ。鰯の頭も信心という言葉もある」
「でも又お金を取られてしまうかも知れないじゃないの」
「いや、いくらインチキ宗教だと言っても、おばさんの家に乗り込んで無理やり金を奪うなんていうことはしない。金を取られるというのは第三者が勝手に言うことで、飽くまでもおばさんはおばさんの意思で金を寄付するんだ」
「そうだけど、それをどうやったら止められるのか知恵を貸してくれたっていいじゃないの」