亜紀-31
健介は実は管長補佐を思いだしていた。別に管長補佐が懐かしい訳ではない。亜紀との会話が管長補佐との会話に似ているなと思ったからである。イエスはあってノーは無い答えなんだという管長補佐の言い方が、今の亜紀の言い方に似ていると思った。結局管長補佐も好きになってみれば可愛い女なのかも知れないと思った。ただ金に取り付かれたから妖しい妙な女になってしまっただけで、それが無ければ単に我が儘だというだけのことなのかも知れない。そして我が儘というのは、その女を好きになってしまえば可愛いらしさに見えるものなのである。男と女はそういう風に出来ている。いずれにしろ考えてもいなかった展開になってしまい、この先どうなるのかと思った。亜紀のことはまだ何も知らないに等しい。まあ、先のことはこれからのことだと思い直してから、先のことはこれからのことに決まっていると気付いて1人で笑ってしまった。
「何を笑っているの?」
「ああ、幸せな気分だとひとりでに笑ってしまうもんなんだな」
「貴方の笑顔って素敵よ」
「そうか。君は泣いていても可愛い」
「意地悪。もう泣かさないでね」
「しかし嬉しくても泣くというのだからどうしようも無い」
「愛してる?」
「ああ、きわめて愛している」
「変な言い方」
「とても愛している」
「私も」
健介は性器に力が漲るのを感じて再び腰を動かし始めた。性欲がこんなにも人を幸せにするものなのかと一瞬思ったが、あとはもう圧倒的な幸福感と性的興奮に包まれて、何も考えることは出来なかった。
「ねえ、これを見て」
「ほう」
それは本覚寺の経理部長と企画部長が二人で総務部長を殺したという事件を報じる新聞記事だった。千葉県のニュースだから名古屋の新聞では詳細が報じられていない。
「これって、どういうこと?」
「さあなあ」
「喧嘩かしら」
「ナイフで刺したというんだから喧嘩じゃないだろう」
「それじゃ、殺人?」
「そうさ。殺人で逮捕と書いてある」
「私たちどうなるの?」
「この事件そのものは僕たちには関係が……」
「間接的には関係してくるってこと?」
「分からないな」
「経理部長が逮捕されて、あなたが行方不明ということだと本覚寺は困るんじゃない?」
「それはそうだな」
「どうするの?」
「どうもしないさ」
「何か嫌なことにならなければいいけど」
「そうだな」
それから2日後になんと、本覚寺には税務査察が入った。経理部長と企画部長が組んで以前から大金を横領していたらしい。それを嗅ぎつけた総務部長が二人を脅して仲間に入れろというのか利益を俺によこせというのか、そういったトラブルから殺人になったらしい。これとは別に前々から税務署が内定していたのだが、殺人で逮捕された経理部長が全てを暴露したので査察ということになったようだ。管長と管長補佐が寺の金をいいように私物化していたから、経理部長らも上に倣っていたということなのだろう。殺人で逮捕されたからいずれにしても管長らをかばう意味がなくなってしまったわけで、税務査察に入るについては金の出入りの大半は既に把握済みということらしい。