亜紀-21
「健介さん、くれぐれも気を付けてね。万が一にでも事故があったりしたら私も生きてはいませんからね」
「あらあら小野田ちゃん、婚約者じゃないのぉ。お見送りなんてお安く無いわね」
「いや」
「紹介して頂戴よぉ」
「いや、その」
「私、橋本亜紀と申します。いつも小野田がお世話になっております」
「おい」
「貴方気を付けてね」
「あ」
「大丈夫よ。私が一緒だから事故なんて無いわよ」
「くれぐれも宜しくお願い致します。滝に打たれるのだそうですけど、危なくは無いのでしょうか?」
「危ないことは無いわ」
「でもこの人泳ぎは出来ませんから、どなたか手を握ってて下さらないと心配で」
「大丈夫よ。その為に私が一緒に行くんだから」
「はい、お願い致します」
「しっかり手を握ってて上げるわ」
「おい」
「なあに?」
「ちょっとこっちへ来い」
「小野田ちゃん。気持ちは分かるけど、早く行かないとラッシュに捕まっちゃうわよ」
「あ、はい」
「日帰りだもの、帰ってからゆっくり甘い甘いして頂戴」
「は、帰ったら連絡するから待っていろ」
「はい、勿論待っていますわ」
健介ははらわたが煮えくり返っていたが管長補佐の目があるから何も出来ない。怖い目をして睨み付けたが亜紀はしゃあしゃあしている。
「小野田ちゃんは本当に隅に置けないわね。一体あの子と何処で知り合ったの?」
「は、まあ」
「教団に相談に来た子なの?」
「いえ、そうではありません」
「何処で知り合ったの?」
「駅前の自転車置き場です」
「え? そんな所で引っかけたの。やるわねぇ」
「いや引っかけた訳じゃ・・・」
「いくつなの? あの子」
「20です」
「うへー若い。やっぱり男は若い子がいいのねー」
「いや」
「もっとこっちに寄んなさい」
「は」
「そんな固くなんないでいいわよ。別に取って食ったりしないわよ」
「いや」
健介はまだ怒りが収まらなくて体が強ばっていたのである。亜紀は婚約者だという筋書きで話を進めるしか無いと決断を促す為に姿を現したのだろうが、それにしても打ち合わせ無しに勝手に進めるやり方は許せない。大の苦手の管長補佐と車の後部席に2人で座っているというのに、そのことに考え及ばない程腹を立てていた。
「ほらあ。こっち来ないなら私の方から行っちゃうわ」
「あ? いや、行きますから」
「何かあったら私も生きてはいませんですって。泣かせるわねえ」
「はあ」
「管長は金と権力があるから若い子がなびくのは分かるけど、小野田ちゃんがねえ・・・」
「はあ」
「どういう風にくどいたの?」
「は? 別にくどきはしません」
「くどかないで勝手に好きになったの?」
「さあどうなんでしょう」
「とぼけないで言いなさい」
「いや、僕にも分からんのです」
「知らないうちに好かれていたの?」
「まあ、そうですね」
「何やってる子?」
「学生です。大学でピアノをやっているそうです」
「んまあー、お嬢さんじゃないの」
「はあ」
「いいとこのお嬢さんなんでしょ?」
「はあ、実はそうでは無いんです。それで先生にちょっと折り入ってお願いしたいことがありまして」
「なあに、仲人かなんか?」
「いえ、実はあの子が困ったことをしてくれまして」
「どうしたの?」
「僕の職場を知りたいというので僕に黙って相談事があるように偽って来たんです。相談料を払う段階になって僕の所に廻されて来ましたから分かったんですが」
「まあ、小野田ちゃんがどんな所で働いているのか心配になったんでしょう。そう言えば私とビルの入り口で会ったけど、あの時のことね」
「いえ、あれより数日後になって来ました。それで大竹先生の担当になっているんですが、うち明けた話、あの子の悩み事相談というのは僕の職場を見に来る口実だった訳でして・・・。今度の体験修行に参加することになっているんですが、その・・・体験させるのは誠に喜ばしいことなんですが、なにぶん寄付をするような余裕のある子ではありませんので弱っています」
「そうなの、身内から寄付金取ろうとは言わないから大丈夫よ」