「Captain Single Papa」-1
眩いばかりの陽光と頬を撫でる潮風。波の音が耳に心地良い。恐らく魚群がいるのだろう、少し離れたところには鴎の群も見える。
雲一つない空の下、舳先で海の女神が微笑む中型帆船モーニング・スター号には、陽に焼けた男達の陽気な顔があった。波音に混じり、時折太い笑声が響く。
航海は順調。目的の港までもうすぐだ。
甲板で望遠鏡を覗いていた壮年の男が、潮風に運ばれてきた鼻歌に顔を上げた。
「船長、ずいぶんとご機嫌だな」
言葉を投げると、返ってきたのは気のいい鮫の笑み。
海賊船モーニング・スター号の若き船長、リガルド・ヒューガ。常に女と海軍の噂になる生ける伝説。上背はないが引き締まった体に陽に焼けた肌。立派な口髭と生やし始めたばかりの可愛らしい顎髭。くたびれた帽子がよく似合う。胸元には汗で黒く酸化した銀製の十字架。腰には長剣と愛銃。黒い外套を潮風に靡かせて舵を握る姿は、一幅の絵画のような勇壮さだ。
「おいビル、これからいい事があるぜ」
舵を握った男は大海原を見据えたまま、愛しげに胸元の十字架を撫でた。
ビルと呼ばれた壮年の男は苦笑混じりに肩を竦め、再び望遠鏡を覗いた。
「いい事があるぜ。俺の人生最大の幸運がな」
リガルドは胸の高鳴りを感じていた。嵐の前のような、不思議な高揚感。その正体はわからない。だがリガルドの直感は何かが必ず起こると告げていた。
「おい、あれ見ろよ」
船員の一人が帆を指した。全員の視線が一点に集まる。
「鴉…?」
帆の上にいるのは、漆黒の羽根を持つ一羽の鴉だった。その容姿から悪魔の遣いと忌み嫌われ、災いを運んでくると言われているが、リガルドは不思議と嫌悪感を抱かなかった。
鴉はリガルドを見つめて二声鳴くと、羽根を広げ飛び立った。
「どうやら案内してくれるらしい」
ふわりと風に乗り、優雅に舞う鴉の後を海賊旗を掲げた帆船が追う。
肉眼でも確認出来るほど港に近付き、船員達が慌ただしく動き始める。
「イセリアか」
悠々と舵を取るリガルドが懐かしげに呟いた。駆け出しの頃何度か立ち寄った事のある港だ。
港のすぐ傍では市場が開かれていて活気がある。行き交う人々の肌の色も様々だ。
異国との貿易が盛んなイセリアは、胡椒や茶などの高級品から酒、塩、干し肉などの航海の必需品、異国の布や装飾品、新鮮な魚介類や果物など扱う品も幅広い。
「俺をどこに連れてこうってんだ?」
船を停泊させ、一足先に船を下りる。リガルドが追いつくのを待っていたかのように、露店の屋根の上にいた鴉は飛び立った。
市場の喧噪を縫い鴉の後を追う。途中娼婦が胸元を見せつけながら交渉してきたり、商人がしつこく東方の壷をすすめてきたりしたが無視した。
しばらく歩くと、市場の裏に出た。空き箱や空になった酒樽が無造作に積み上げられている。
「……ん?」
微かに声が聞こえた。
聞き間違いかと思ったが、耳を澄ませてみると確かに聞こえる。
赤子の泣き声だ。そう遠くない。
声のする方を見回すと、いつのまにか鴉は酒樽の上にいた。どうやら中は空らしく、樽の縁に止まっている。
リガルドと酒樽の中を交互に見やり、小さく羽根を広げて鳴いた。
「お前が言いたかったのはこれか」
酒樽を覗き込むと、粗末な布に包まれた赤子が泣いていた。
「世知辛い世の中だな」
溜息を吐き、樽の中の赤子を抱き上げると、柔らかな頬を伝う涙を太い指で拭ってやった。
「よしよし、もう大丈夫だ」
ぽんぽんと優しく背中を叩いてやると、赤子はぴたりと泣き止み、不思議そうにリガルドを見上げた。
生え始めたばかりの柔らかな髪にこぼれ落ちそうな黒瞳。弾力のある肌は汚れているが、乳のように白い。やっと物を掴む事を覚えた小さな五指は、リガルドの服をしっかりと握っていた。