『BLUE 青の季節』-24
「今は、二人っきりで居たいんです」
俯いたままの遥の表情は分からない。でも、指先から伝わってくる微かな痛みと、彼女の目から流れてシャツをぬらしているものは理解できるような気がして、信は黙って腰を下ろした。
「いいよ。ずっとここにいる。今なんて言わずに明日だって来たっていいんだ」
「それはダメ」
遥は鼻をすすって顔を上げた。少し赤い目で、それでも微笑みながら昔と同じような明るさを見せている。
「逃げちゃダメです。自信がないからっていざって時にやる気のない振りをして、面倒ごとを避けようとする。先輩の、一番嫌いなところ」
遥は首を横に振った。
「でもね、あなたは本当はすごい才能を持ってるんだよ。自分じゃ気付いてないと思うけど、私は知ってる。一年前から、ずっと・・・・・」
「ずっと?」
「うん」
高二の夏。確かに彼女はそんなことを言った。うだるような暑い日だった。騒がしく聞こえる蝉だけがこれから先を暗示していたのかもしれない。その時は、全く実感がわかなかっただけで。
「だから、行って。泳いで。そしたらあなたは、絶対負けない。ううん。勝ち負けなんてどうでもいい。あなたの泳いでる姿を、私が見られない代わりにみんなに見てほしい。
私が一番大好きな、先輩を・・・」
遥はそっと信の背中に腕を回すと優しく抱き締めてくれた。互いの体温を通じて、彼女の温もりを知る。
こんなに暖かな遥でも、もう泳ぐことはできない。
懸けていた情熱も時間も全部、意味のないものになってしまったというのに。
まだ、水泳が好きだった。
そして屈託のない笑顔で、変わらない眩しさで全力で応援してくれる。
それだけは、遥にとって何よりも意味のあるものになっていた。
―そして、俺にとっても
立ち上がり、ドアに手を掛けたところでもう一度遥の声が聞こえた。
「信」
「うん?」
「明日は、遅刻しないでね。」
「しないよ、もう二度と」
※
「そうですか・・・・」
と信は受話器に向こうの相手にそう告げた。
競技場のスタンドは観客で埋め尽くされていて、最後のレースを今か今かと待っている。