『第2章 その秘密の出来事は』-9
「当たらずとも遠からず、かな」利恵が言った。「慣れてきたらどんどん大胆になってきちゃって、ねえ、秋月くん」
「は、はあ……」
「私も何度もイかされちゃったわ」
「やるな……高校一年生の分際で」
修平も顔を赤くして遼と利恵を交互に見た。
「ごめんなさい、先生……」
蚊の鳴くような声で、遼が言った。
「エッチの教育実習だったってわけっすね? うははは!」
「大口開けて笑うな、修平!」
「でもね、それで秋月くんが私を好きになったらどうしよう、って悩んでたのも事実。実際どうだったの? 秋月くん」
遼は小さなため息をついた。
「予想通り利恵先生のことはどんどん好きになっていってました。でも同時になんかもやもやした悩みも膨らんでいきましたね」
「悩み?」
「抱かせてもらって、身体の欲求を満たしてくれたことで人を好きになるのって、本当の愛情じゃないんじゃないか、って」
「誠実で真面目な遼先輩らしい。高校ン時からそんな感じだったんすねー」
「ごめんね、貴男の心を弄んじゃって……」
「そんなことないです」
遼は恥ずかしげにうつむいた。
利恵はカップを持ち上げ、香り立つコーヒーを一口飲んだ。
「先生は、あれから?」遼が訊いた。
「大学に戻ってすぐ、車椅子の剛さんと結婚することを決意したの。もちろん大学は卒業したし、教師の免許も頂いた。先生になったのは一年経ってからだったけどね」
「教員試験は受けられたんでしょう?」
「ううん、受けなかった。息子が生まれてすぐだったしね」
「坊ちゃんは先生が卒業した年に生まれたんすか?」
「そう。だから卒業した年は教員試験は受けずに子育て。だから、えっと……、私が教師になった年は秋月くんは高校三年生になってたはず」
修平は遼を横目で見てにやにやしながら言った。
「遼先輩もその時はすでに亜紀さんとラブラブだったわけですしね」
「そうなの? 亜紀さんって今の奥さんよね? すごい。一途なのね」
遼は頭を掻いた。
「じゃあ私のことなんか忘れ去ってたわよね」
「先生の今のお住まいは?」
「楓町」
「え? なんだ、すぐ近くじゃないですか!」
「そうね」
利恵はにこにこ笑いながらカップを持ち上げた。
「おや、利恵先生やおまへんか。いらっしゃい」
『シンチョコ』のマスター、ショコラティエのケネス(46)がテーブルにやって来た。
「お邪魔してます、ケニーさん」
ケネスは利恵の隣に座った。
「学校も夏休みでんな。どうです? 羽伸ばせてますか?」
利恵は苦笑いをした。「授業こそありませんけど、夏休みは研修とか会議とか部活とか、ここぞとばかりに入ってて、逆に落ち着かない感じですね」
「先生家業も大変やな。で、何の話してましたん?」
修平がニヤニヤ笑いながら言った。「遼先輩の初体験の話っすよ、ケニーさん」
「おお! ええなええな! わいも混ぜてーな」
「あいにくもうその話は終わりましたっ」遼が赤くなって軽く抗議した。
「ご主人の剛くんは元気でっか?」
「はい。お陰さまで」
遼が訊いた。「今、ご主人の剛さんはどちらに?」
「町の福祉協議会の事務所で働かせて頂いてるの。経理を担当してるわ」
「そうですか」
「結婚してこっちに住み始めてすぐ、ケニーさんのご紹介で就職したのよ。車椅子でも働ける所を苦労して探してもらったの。恩人よ」
「ケニーさんは顔も心も広いから」遼が言った。
ケネスはにっこり笑って店の奥にいた妻のマユミに向かって叫んだ。
「マーユ、アーモンド入りチョコレート、皿に山盛り持ってきてくれへんか」
「なんすか、いきなり」修平が言った。
「褒められたら、何か出さなあかんやろ?」