『第2章 その秘密の出来事は』-16
「あのさ、海晴ちゃん」
にわかに剛の声のトーンが落ちたのに戸惑い、海晴は受話器を握り直した。
「今日俺が電話した用件は……」
「うん」
「そう。ちょっと骨折りの依頼なんだけど……」
「電話でも大丈夫な内容?」
「今日のところは、とりあえず」
「わかった。聞くよ」
「ごめんな、忙しいんだろ?」
「大丈夫よ。言って」
「うん。実は、俺のカミさんの利恵のことなんだが」
「奥さん?」
「簡潔に話すと、彼女とは大学を卒業してすぐ結婚した。そしてその年の夏に長男の遙生が生まれたんだ」
「うん」
「利恵は今、中学校の教師をしてる。でさ、いきなり生々しいことを言うけど、この子が本当は誰の子なのか知りたくて……」
「ええっ?! なにそれ、ど、どういうこと?」
海晴は思わず大声を出した。
「ごめん、いきなりだったね」
「と、とにかく続けて……」海晴はやっとの思いで息を整え、促した。
「俺は利恵と結婚する前年に、柔道の練習中に下半身不随になってしまった。ということは、生殖能力も失ったということ。あ、ほんとに生々しい話ですまん」
「大丈夫よ」
「で、あの子が生まれた日から逆算しても、俺と利恵との繋がりが元になったとは到底思えないんだ」
「そ、そうなんだ……」
「計算すると、息子の遙生が彼女のお腹に宿るきっかけになった出来事が起きたと思われる時期が、丁度彼女が大学の教育実習生としてこっちの高校に通っていた期間と一致するんだよ」
「はあ……」
「利恵が言っていたが、その時、弟の遼くんがその高校に在学していたらしいね」
「うん。確かに通ってたね……」
「それで、遼くんが何か事情を知ってはいないかと思ったわけなんだ」
「え? なんで弟が?」
「先週のことだ。南中学校の先生がうちの事務所にやってきてな、」
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その逞しい体躯にスーツを着こなし、臙脂色のネクタイをした男は、事務所のドアを開けた剛の前で姿勢良く立ち、少々緊張したような表情でゆっくりとお辞儀をした。
「お忙しいところ、申し訳ありません。剣持です」
剛はその教師を中に促しながら言った。
「お待ちしてました。どうぞ中へ」
失礼します、とまたお辞儀をして、その地元中学の体育教師、剣持優(34)は窓際に置かれたソファに座った。
「お忙しい中、わざわざおいで頂いて申し訳ありません」
剛が言うと、剣持は軽く首を振った。
「いえ、こちらこそ、貴重な時間を頂き、恐縮です」
剛も剣持に相対して座った。
剣持は両手の指を組んで、少し身を乗り出し、低い声で言った。
「毎年お願いしています生徒の職場体験実習の受け入れについて、その可否をお伺いしたいんですが……」
「はい、去年は五月でしたね? 真面目で礼儀正しい生徒さんだったのでよく覚えています。三人とも立派に三日間働いてくれました。私たちもとても助かりましたし、将来有望だな、と職員同士で話しておりました」
そうですか、と剣持は鼻の頭を掻いた。
「来年度もその時期に?」
「はい、来月、新学期が始まってすぐに二年生の総合的な学習の時間を使って希望調査と事業所の割り振りをする予定です」
「こんな地味な職場でも希望者がいるんでしょうか?」
「意外と……と言っては失礼ですね。実は福祉に興味を持つ生徒は、毎年一定数いるんです。女子だけじゃなく男子の中にも」
「そうなんですね」
「このK市の積極的な福祉政策のお陰でしょう。子供たちの目にも見えるような福祉事業を展開しているというのが大きな要因だと思います」
「なるほど」
「もちろんここの協議会の職員の皆さんが毎日一生懸命、誠実に働いていらっしゃる成果であることは間違いありません」
剛は落ち着かないように腰をもぞもぞさせた。
「そんなに言って頂くと、何だか居心地悪くなります」剛は頭を掻きながら続けた。「うちは全然問題ありません。五月のどの三日間に実施されるか決まりましたら、早めに知らせて下さい」
剣持はありがとうございます、と言って深々と頭を下げた。