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禍転じて……とはよく言ったものである。
せめてあと少しだけ河野と一緒にいたいと思っていた願いが思わぬ形で叶ったのだから。
「葉月もドジな所があったんだなぁ」
屈託のない顔で歯を見せる彼に、照れた笑いを向ける麗子。
それは自分のミスに対してのはにかみではあったが、河野と二人きりでエレベーターに乗っているこの状況に対しての照れも含まれていた。
これが恋人同士だったら、玄関のドアを閉めた途端、河野と唇を激しく絡めあいながら寝室へなだれ込んでいたかもしれない。
そしてそのまま……。
麗子はシンと毎夜していることを河野にふと置き換えてしまい、カッと顔を赤らめた。
「照れんな照れんな。葉月もそんな人間らしいところがあると思うと、お兄さんは嬉しいぞ」
なのに、河野はカラカラと無邪気に笑う。
違うんです、あたしはあなたにいやらしいことをされることを想像してーー。
なんて、言えるはずがない。
この人は、私がこんな邪な思いを寄せているとは夢にも思っていないだろう。
だから、きっと彼は鍵を受け取ったらすぐさま帰るはず。
部屋の前までついてきてくれたのだって、麗子が一旦下まで鍵を渡しに来る手間を省く為。
決して部屋に上がりたいという下心なんて彼は持っちゃいないのだ。
それが証拠に、酔って潤んだ瞳を向けても、彼は顔色一つ変えていない。
どんなに慕ったとしても、あくまで職場の先輩と後輩の間柄で一線を引く彼だ。
そんな彼が、理性を失うようなことなんて、あるはずがない。
ドアの前に来たところで、麗子は鍵を開ける。
「せっかくですからお茶くらいごちそうしますよ」
「いーよ、俺、明日早いし」
ダメ元でそう誘っても、彼は人懐っこい笑顔で首を横に振るだけ。
こうなることはわかっていたから、特段肩を落とすこともなかった。
単なる社交辞令のようなものである。
「それじゃ、すぐ鍵持ってきますね」
ただ、ほんのちょっとだけ一緒にいられる時間が伸びた、それだけで今の麗子は充分だったのだ。