美雪-1
「お兄ちゃん」
「・・・」
「お兄ちゃん、お兄ちゃーん」
「哲、あれってお前の妹なんじゃないの?」
「チェッ。何だよ、教室には来るなって言っただろ」
「お弁当忘れたから持ってきてあげたのよ」
「そんなものどうでもいいんだ。弁当忘れたらパンでも買って食うから」
「お金持ってるの?」
「パン買う金くらいあるだろ。あれ?」
「無いんでしょ?」
「お前いくらか貸してくれ」
「いくら?」
「いくらでも」
「それじゃ1000円。これで合計7000円になるからね」
「お前覚えてんの? しっかりしてんな」
「当たり前よ。貸したお金忘れたりしないわ」
「大体1年生と3年生で小遣いの金額が同じだっていうのがおかしいんだ」
「だってお兄ちゃんはお小遣い無くなるとお母さんに貰ってるじゃないの」
「だから初めから多くくれればいいんだ」
「そうすると無くなっても貰えないよ」
「ん? だからその時の為にお前がいるんじゃないか」
「何で私ばっかり頼りにするのよ」
「お前以外にいないじゃないか」
「誰か友達に借りればいいじゃない」
「いや、友達付き合いに金銭の貸し借りを持ち込むのは良くないんだ」
「それじゃ兄妹ならいいの?」
「兄妹っていうのは困ったとき助け合う為にあるんだ」
「そんなこと言っても私がお金借りたことなんて無いじゃない」
「いつかそういう時も来る」
「そういう時が来てもお兄ちゃんがお金持ってなかったら借りられないじゃない」
「それはそうだ」
「そしたら助け合うんじゃなくて私が一方的に助けるんじゃない」
「うるさい。いいからもう自分の教室に戻ってろ。此処には来るんじゃないぞ」
「来たくて来た訳じゃないよ」
「だから来たくても来るな」
「お弁当とお金返して」
「馬鹿言うな」
「恩知らず」
「哲の妹って目茶可愛いな」
「どこが?」
「どこがって全部」
「お前頭だけかと思ってたら目まで悪いんじゃないの?」
「馬鹿。自分の妹だと可愛いのに気がつかないんだよ」
「人の妹だと厭な所に気がつかないんだよ」
「厭な所なんてあるのか?」
「ああ」
「どんな所?」
「どんな所って全部」
「でも、あんな可愛い妹がいればガールフレンドがいなくても代わりに連れ出せば格好いいじゃん」
「ガールフレンドがいなくても誰が妹を連れ出すかよ。あんなのと一緒に外を歩くなんて考えたくもない」
哲治と美雪は二人兄妹で同じ東都高校に通っている。哲治は自転車、美雪はバスで通うから一緒には通学しない。妹が自分と同じ学校にいるというのは高校生にとっては何となく恥ずかしいことである。大体家にいる時だって滅多に話などしないし、一緒に出かけることなど全くと言って良いほどない。ところが哲治は美雪と一緒に外出する羽目になった。
母親が仕事中に急性盲腸炎で病院に運ばれた為、タオルや下着、寝間着などを病院に持って行かなくてはならなくなったのだ。荷物は結構沢山あって妹一人では無理だし、哲治一人だと別の理由で無理なのである。哲治は筋金入りの方向音痴だからである。一人で初めての場所に行くなんておよそ出来ないのである。何しろ通い慣れた学校と自宅の間でさえ、ちょっと気まぐれを起こしていつもと別の道を通ったりすると直ぐに道に迷う。こっちの方角に走っていればいい筈だと思って自転車を走らせるが、不思議なもので必ずといってよい程逆の方向に走っている。その結果、段々恐慌を来してますます分からなくなる。