第三話-8
「わかったわ。後で私がやっとくから。
それより、晩ごはんの用意するから、手伝って。」
史乃は気持ちを切り替え、由美をバイトに送り出すべく、夕食の準備に取り掛かることとした。
そして、由美が出掛けた後、残された史乃は部屋に散乱した物を黙々と分別、袋詰めしてゆき、やっと表れた床を磨いて、先ほどから、もうすぐ戻る由美の為にと、夜食を用意していたところだった。
用意しているのはカレーうどん。市販のレトルトを鍋に入れ、麺つゆを出汁代わりにのばした物に冷凍うどんとネギを加え、しばらく煮込めば出来上がりという代物だ。
うどんは消化に優しく、夜中に食べても内臓への負担が少ない食べ物で、カレーも含まれる様々なスパイスは身体に良い作用を与える物で、両方を用いるカレーうどんは、夜食に最適な食べ物である。
(そう言えば、お父さん、ちゃんと晩ごはん食べたかな?)
料理をする史乃の手が、ふと、止まった。
飛び出して来たが、ここに来て、寿明の食事ぶりが気になった。
簡単な料理なら作れるのは知っているが、真田家の食卓の大半は史乃が賄っていたし、執筆作業で忙しい寿明の為、夜食を作った数もかぎりがない。
そんな生活に慣れていた寿明が、昨日を境に有無もなく自分と出会う前の生活に戻されて、果たして、大丈夫なのかと思えたのだ。
(考えたら、このまま二度と会わない訳にはいかないか……。)
この先、一人で生きてゆくとして、未成年で社会的信用度ゼロである史乃が生活基盤を築こうにも、保証人なしでは仕事一つ、住居一つ得る事さえ不可能に等しい。そう考えると、いずれは寿明との再会は必至である。
未だ、家出一日目ではあるが、この時、史乃は自分が如何に“親”の庇護の下に生きて来たのかを痛感した。
今さらながら、自らの行動について自問自答する史乃。すると、玄関ドアの施錠が外れる音がした。
「ただいま〜!」
バイトを終えた由美が、帰って来たのだ。
「おかえりなさい!」
少し酔っているのか、上機嫌の由美は、出迎えた史乃に対し、
「帰って来た時、部屋が明るくて空気も暖っかいと、嬉しくなるわね!」
そう言うと、鼻を鳴らして顔を綻ばせる。
「──それに、美味しそうな匂いもするし。」
「カレーうどん作ったの。食べる?」
「うん。先にシャワー浴びてくるから。」
笑顔で廊下を通り抜けてきた由美は、部屋にたどり着いた途端、表情を一変させて、驚嘆のため息を吐いた。
「これって……?」
床に散乱していた物は、幾つかの袋に分けて部屋の片隅にまとめられ、元々のフローリングが艶やかな顔を見せていた。
「暇だったんで、私が片づけたの。」
「ふーん。凄いわね、あれだけの量を一人でやっちゃうなんて。」
表情は笑っているが、その声は、先ほどより抑制が薄いように思えた。
「──ありがとう、史乃。」
「そんな、お礼なんて……。それより、シャワーを。」
「うん。ちょっと入ってくるわ。」
由美は、部屋のタンスから着替えを取ると、廊下途中のトイレと風呂場へと通じるドアを開けた。
「へぇーっ。」
由美は再び、感嘆の声を挙げた。
何時もの様相、抜けた自毛や垢、洗剤カス等が流れ溜まりに堆積し、全体がカビまみれでくすんでいた風呂場が、全て取り除かれ、本来の乳白色を取り戻して、明るくなっていた。
しかし、由美の顔から喜びや感謝はうかがえず、無表情に身体を洗い、何時ものように流れ溜まりに残った汚れを気に掛ける様子もなく、風呂場を出ていった。
月曜日の午前一時過ぎ──。夜食を食べ終えて、二人は一つのベッドに潜り込む。女性とはいえ、シングル・ベッドに二人で寝るのはかなり窮屈だ。
当初、史乃は毛布にくるまって寝るつもりだったが、この時節、夜は未だ寒く、毛布でしのげるものではないからと、由美がベッドに寝るように進言したのだ。