第三話-3
寿明が、不安を抱えて街へと出掛けた頃、
「ねえ、本当に大丈夫なの?」
「いいのよ。少しは心配させてやらなきゃ。」
史乃は、朝早くから由美のアパートに身を寄せていた。
由美は他県出身者で、今、通っている建築専門学校の知名度や授業内容の充実ぶり、そして何より、大手建築関連会社への高い就職実績から入学を決意し、一人暮らしをしながら学校に通っているのだ。
由美が住むアパートは、学校まで徒歩十分ほどの近い場所に位置し、学校から紹介された上に格安だった事が決め手で入居したのだが、それでも仕送りだけでは足りず、バイトで生計を立てている状況だった。
唯、楽天的な彼女らしく苦学生然とした面を一切感じさせず、バイトもガールズ・バーという風俗業の類いではあるが、由美曰く、「趣味と実益を兼ね備えたバイト」として、楽しんでいるようだった。
史乃が、家出を決めた未明の事──。行先を考えてみると現実的な選択肢は三つしかなく、祖父母の家か由美のアパート、そして安いホテル住まいだった。
祖父母宅なら居心地は良いだろうが、直ぐに寿明の知るところとなるのは明白で、それでは家出した意味がない。安いホテルも同様に、長く隠れられる場所では無いように思えた。
そうした、消去法から導き出した答えが由美のアパートで、史乃は直ちにメールで相談を持ち掛けてみると、彼女は二つ返事で泊めることを承諾してくれたばかりか、直ぐに待ち合わせの時刻と場所を決めてくれたのだ。
そうして、史乃が有りったけの荷物をトロリー・バッグに詰め込んで、待ち合わせ場所へ向かうべく、家を出たのが午前六時だった。
家出から六時間経った今、何時もは楽天的な発言の多い由美が、心配そうな声を挙げていた。
史乃は考える 。この調子だと、ここに匿ってもらえるのも精々、数日程度で、それ以降は何処の安ホテルでも探すしかないと。
(現金が一万円ちょっとに、クレジットを合わせて……。)
日頃、家計を任されている史乃が自由になる金額は、諸々、合わせて数十万円ほど。但し、これも寿明が口座を閉鎖しなければの話である。だから、なるべく早く現金化しておきたい考えなのだが。
(それだけ有れば、二、三ヶ月は大丈夫だろうけど……。)
その後を、どうするかまで考えていなかった。
一連の騒動で、もう、一緒にいられないと感じ、出る事を決めたのだ。
(お父さんの目には、私じゃなくて、お母さんが見えていた。私は、そんなお母さんを……。)
自慰をしていた寿明の脳裡に浮かんでいたのは、何度も名を呼んでいた自分でなく、自分の中に面影を見た元妻、綾乃だったという事実を聞かされて、史乃は愕然となった。
別離して十五年、亡くなって一年経ったにも拘わらず、今も尚、寿明の心の大半を占めているのが綾乃だと判り、気づけば自分の中で、母親への強い敵がい心が芽生えていた。
そればかりか、父親の心を独り占めしたいとする感情が芽生え、その為なら、若さ溢れる肉体を用いる事さえ厭わず、成し遂げようと試みた自分に、恐ろしいものを感じた。
親子で肉体的関係を持つだけでも忌まわしい出来事なのに、相手の心まで奪いたいと思う自分では、この先、寿明との親子関係は成り立たない──。その時、史乃は家を出る決意をした。