第三話-10
月曜午前二時──。寿明は、自室で夢路をたどっていた。
帰宅前、コンビニで食事を買い込むと、リビングで腹を満たしてから風呂に入り、疲れた身体を揉みほぐし、ようやく一心地着いた感じがした。
明日の為にと、早々に自室に引き上げた寿明は、医師からは控えるよう進言されたウイスキーをショット・グラスで二杯、煽った。
三日ぶりのアルコールが喉から胃へ、そして内臓全体を熱くしてゆくと、やがて鼓動が激しく、血潮が騒ぎ出すに従って、逆に頭は徐々に麻痺してゆき、活動を休めていった。
寿明は、倒れるようにベッドにたどり着くと、そのままスイッチが切れたように、眠ってしまった。
寝入ってから約二時間が経つ頃。泥のように眠る寿明の枕元で、スマホが激しく鳴り響き、着信を知らせ出した。
「んん……。」
何度目かのコール音で、眠っていた神経が一瞬で目覚めるように、寿明は素早くスマホを掴み取ると、確信を持って通話ボタンを押し、声を挙げた。
「史乃!史乃か!?」
ぐっすり眠ったつもりでも、心の何処かで緊張していたのだろう。その声は寝ぼけた掠れ声でなく、張りのある声だった。
「お、お父さん……。」
耳に当てたスマホから愛しい史乃の声が聞こえた瞬間、寿明の緊張は一気に解けてしまった。
「史乃……。よかった。大丈夫なんだな。」
安堵の声を挙げる寿明。だが、次の瞬間、その声は凍り付く。
「娘さんの、お父さん?」
聞こえて来たのは男の声。それも、二十歳前後を思わせる幼い声だ。
「君は、誰だ?」
寿明は、努めて冷静さを装いながら、この男性と史乃の関係を推測する。が、男の発言は、寿明の想像から大きく外れたものだった。
「娘さん、拉致ってるから。一千万円と交換してやるよ。」
突拍子のない展開を寿明は理解出来ず、言葉を失った。
それは予想外のリアクションだったようで、男は業を煮やし、苛立たし気に言葉を繰り返した。
「──だから聞いてんのか!あんたの娘を預かったから、一千万円用意しろと言ってんだ。」
我が子を営利誘拐された──。寿明は、疑いようのない事実を突き付けられたのだが、何故か心の中は、先程、史乃の声を聞いた時よりも冷静になっていた。
「話はよく判った。しかし、こんな夜更けに電話してきて、一千万円もの大金を用意出来る筈が無いだろう。せめて三日は無いと、無理だな。」
「嘘を吐くな!あんたが作家だって事は判ってんだぞ。」
「君が作家の何を知ってるかを議論するつもりはないが、私が著名な作家のように、金持ちだと思ってるのなら、それは君の認識不足だ。
残念ながら稼いでいる金額は、君のご両親と大差ないと思うがね。」
短い会話の中から相手の度量を計り取ると、このように知性を感じさせないタイプは、金への執着は強いが得る為の努力を嫌い、ましてや綿密な計画を立てれるほど、世の中の仕組みを理解していない。
自分の思い通りにならないと逆上して人質に危害を加えかねないが、方法によっては、こちらの思うように交渉可能なタイプだ。
その一つが、“世の中の仕組みを教えてやる”ことだと、寿明は考えた。