ゴカイノカイギシツ-4
「とりあえず、お疲れ様ってことで」
水曜の夜。寺島係長が連れてきてくれたのは、私の部屋の最寄り駅にある居酒屋。運ばれてきたジョッキを掲げて微笑まれ、お疲れ様ですとジョッキを重ねた。
会社を出たあとも、電車に乗ってからも、寺島係長はあの光景について何も触れないでいてくれた代わりに。
「悪い、ミチルに稲生さんと飲みに行くってラインしたら、抜け駆けはずるい、アタシも行くって怒ってるけど、アレも一緒でいいか？」
多分私に気をつかって、着替えにいっている間にミチルさんに連絡を取ってくれたのだろう。
「ミチルさんに会えるなら喜んで」
本社勤務のミチルさんと合流しやすい場所、と考えて、ウチの最寄り駅に決まった。私の部屋は支社より本社の方がよっぽど近い。今はミチルさんが一人で暮らしている寺島係長のマンションへは、地下鉄１本で帰れるからと。
ミチルさんは、新入社員だった私の教育係だった。その頃にはもう寺島係長とご結婚されていて、別の支社でやはり単身赴任していた寺島係長とも何度かお酒の席でご一緒したことがある。
ミチルさんは30分くらい遅れるから先にやっててくれという。当たり障りのない会話でも、飲み始めたらイヤな光景を忘れるほど楽しかった。
「ハルカー！久しぶりーっ」
やがてやってきたミチルさんは、私たちを見つけると駆け寄ってきて、ご主人そっちのけで私にハグをしてくれた。
「オレも久しぶりなんだけどなぁ」
「アンタはいいの。何ならここから女子会にするから財布おいてアパート帰ってくれていいのよ？」
確か一回り近く寺島係長のほうが年上のはずだが、相変わらずの尻にひかれっぷりだ。
「ハルカ、アンタ綺麗になったんじゃない？オトコできた？」
向かいの席で、寺島係長がむせる。
「やだ、由哉ってば。きったないなぁ。で、どうなの？」
どうやら短時間ではさすがの寺島係長もあの出来事をミチルさんに説明する時間はなかったようだ。
「出来た、と言いたいところなんですけど、別れるかもしれません」
「え？ウソなんで？え？ちょっと、由哉も知ってるの？その前にちょっと待ってね。あ、お兄さん生３つ。大至急ねっ」
そばにいた若い店員さんを取っ捕まえ、オーダーをする。
「寺島係長にはまだきちんとご報告してなかったんですけど。今日その現場に立ち会わせてしまいまして」
「ってことは、相手は社内の人間？アタシも知ってる人？」
「ウチの支社の総務の田中課長、だよね？」
私に確かめるように寺島係長が言い、頷くとミチルさんが驚きの声をあげる。
「え？田中課長ってタナケン？あのタヌキオヤジ？アタシ、本社に来る前に一緒の支社にいたことあるけど。うそ？何かの間違いじゃなくて？」
タヌキオヤジには私も吹き出してしまった。確かにタヌキ顔かも。
「恐らく間違ってないと思います」
「そっかぁ。ごめん、こんなこと聞いてアレだけど、タナケンって離婚成立したの？」
大至急って頼んだお陰かすぐに持ってきてくれたビールで再び乾杯。
「バツイチだと聞いてます」
「そっか。ならいいんだけどさ。もし本人から聞いてないならアタシから話さない方がいいのかもしれないけど。あー、でもダメだわ。アタシの性格的に黙ってらんないわ」
一気に半分くらいを飲み干したミチルさんに続きを促す。
「元奥さんね。タナケンがあの支社に単身赴任してる間にオトコ作ったのよ。おまけにコドモもね。それを知ったタナケンは離婚を申し出たんだけど、なかなか応じなくってさ。相手のオトコも既婚者で。コドモと自分の生活を守りたかったみたいなんだよね。で、調停頼むとか、弁護士雇うとか雇わないとかね。そのくらいの頃にアタシも異動になっちゃったから、結果は知らなかったんだけど。離婚できたならよかったわ」
そこまでの詳しい話は聞いてなかった。私の実母とおんなじタイプの人だったんだ。だから、家庭の事情を話した私に同情してくれたのかな？それで今まで優しくしてくれてたのかな？
「で？それがどうして別れるの？」
「…ウチの支社の…既婚者の女性とキスしてるの、見ちゃいました」
「あれは、何かの間違いだと思うよ。」
「どういうこと？」
ミチルさんが寺島係長を問い詰める。
「相手はオトコなら誰彼構わずモーションかける女の子でさ」
「あぁ、アンタもターゲットにされてたってコ？通称サセコだっけ？」
あぁ、さすがの仲良しご夫婦。その辺も包み隠さずなんだ。
「そう。オレが見た感じじゃ、サセコが無理矢理抱きついてキスしたんだと思う。オレと稲生さんに見られたことに気づいて慌てたっていうより、一番見られたくない人に見られたから慌てたって感じだったよ」
慰めるように寺島係長が言う。
「ねぇ、ハルカ。アタシの知ってるタナケンはさ、それこそ10年近く前のタナケンだけど。面倒見がよくって、管轄の違うアタシたちにもよく声かけてくれて、飲みに連れていってくれたりしてたけど。特定の女の子の話なんて聞いたことないし、タナケンにお持ち帰りされたなんて話も聞いたことないわ。中には既婚者だろうが彼女がいようが平気でお持ち帰りしたり囲ったりするようなヤツもいるけど、タナケンはそういう人じゃないと思う」
…それは、そうかもしれない。
「アンタが１回でも他のオンナとキスしたようなオトコは許せないっていうなら、もちろん止めないけど。そんなオトコなんてどこにもいないわよ」
「え？」
オレはしないぞ？というように寺島係長が抗議の声をあげる。
「浮気とか不倫とかはもちろん論外よ？でもアンタだってアタシと付き合う前に他のオンナとしたことないなんて言わないでしょ？」