A-6
「すっかり遅くなっちまったな。」
一日の営業を終えて会社への帰路につく頃、日は既に沈みかけていた。
「あそこの担当さん、お喋り好きが玉に瑕(きず)ですからね。」
時刻は午後六時過ぎ──。これから帰社して、残務処理で一時間は優に掛かる。先程、長岡には八時に店で落ち合うようにメールしといたが、正直、予定に間に合わせるのは厳しい。
「まったく……。ちょっとは、こっちの都合も考えて欲しいってんだ。」
「ちょっと、意外ですね。」
吉川が怪訝そうな声を挙げた。
「──先輩の口から担当者の悪口を聞くなんて、初めてじゃないですか。」
焦りの余り、冷静さを失っているようだ。これでは隠し事が有りますと、宣言しているようなものだ。
俺は「そうだったかな?」と、適当な言葉でごまかし、これ以上のボロが出ない様、口を噤むのが賢明だと悟った。
そんな俺の心を知ってか知らずか、吉川は喋り続ける。
「朝は遅れて来て、昼は僕と口論をし、そして夕方の今は他人の悪口を言うなんて、今日の先輩、少し変ですよ。」
他人の言動を逐一詮索する様は、テレビドラマに見るベテラン刑事を彷彿とさせる執拗さだ。
「その……。実を言うとな。家を出ていた姉が、帰って来るそうなんだ。」
「あ、お姉さんって、あの時の……。」
「ああ、“あの時”の姉だ。それで……。今日は、その、実家に戻らにゃならないんだ。」
咄嗟に吐いた嘘だったが、隣のベテラン刑事は、俺の話を鵜呑みにしたらしい。
「ようやく、合点が行きましたよ!どうりで、朝から落ち着かない訳だ。」
「そ、そうなんだ。昨夜、連絡があって、時間厳守だときつく言われてしまってな。」
「だったら、後は僕に任せて、先輩は社に戻り次第、実家に帰って下さいよ。」
──なんだって!
なんだか、予想とは違う方向に話が向かい出したぞ。
「いや!お前の気持ちはありがたいが、仕事を残してなんて……。」
「何を言ってるんだか。こんな時の為に二人で担当してるんですし、それに僕も、そろそろ一通りの事を一人で出来なくちゃと、思ってたところなんです。」
その後、幾度となく押し問答を繰り返したが、吉川は頑なで、自分の意見を曲げようとしない。結局、俺は社に戻ると、そのまま帰宅する事になってしまった。
「まいったな……。」
時刻は六時半──。車に乗り込むと、自然と心のモヤモヤが口を吐いた。
長岡との約束を遂げる為、結果的とはいえ相棒の吉川を騙してしまい、心は慚愧の念に堪えない。
(これじゃ、吉川にバレてしまった時、本当の事を言っても信用しないに決まってる。)
俺の描いた方向とは全く異なるだけでなく、最悪の事態は想定をはるかに超え、最早、先輩と後輩という関係性さえ失う危険性を孕んでいる。
更に不味い事は、もはや後戻りが利きそうに無いという事だ。
「どうしたものかな……。」
最悪の事態を回避するにはと、あれこれ考えを回らせるが、俺の乏しい思考力では、答えを見付け出せない。
「──取り敢えず努力はするが、結局は、成るようにしか成らんのかもな。」
そもそも、どんな誤解を受けようが、やましい事さえ無ければ、知らぬ存ぜぬを貫き通せると言うものだ。
(亜紀の件だけでも気が重いのに、長岡との誤解まで対処しなきゃならないとは。)
帰宅までの間、ずっと頭を回らせたが、結局、今朝のように考えが纏まる事はなく、モヤモヤは募るばかりだった。