樹理-17
「何? 誰か出入りしてる女がいるの?」
「いませんよ。だけどうちに来たいっていう女は掃いて捨てる程いるから」
「ふん。鍵出しなさい」
「鍵を渡す気がなくなったのか。まあ、返せとあれば返さないわけに行かない」
「此処の鍵じゃなくて貴方の部屋の鍵」
「僕の部屋の?」
「そう」
「何で?」
「この鍵を付けるからよ」
「あそうか。驚いた。本当に引っ越してくるのかと思ったよ、一瞬」
「驚くことは無いでしょ。厭がるものを無理矢理やろうなんて言わないわよ」
「別に厭がってはいないよ。欲しければ今度スペア持ってくるよ。でも僕のうちなんか来たことも無いじゃないか」
「くれると言うんなら貰っておくわ。1度見に行くのもいいかも知れない」
「僕がいない時に来て何するんだよ」
「貴方の下着の抽出に顔突っ込んで気絶するのよ」
「香水の匂いがするぞ」
「貴方もそんなことしてるの?」
「いや、田舎の香水の匂い」
「田舎の香水って?」
「肥桶の匂い」
「肥桶って何?」
「肥桶知らない? 北海道の出身だっただろ?」
「そうよ」
「北海道には肥桶って無いのかな。道ばたにデカイ穴掘ってそこにウンコを貯めておくんだ。そうすると発酵してその内肥料になる。だけどウンコだから臭いんだ。それを田舎の香水って言う」
「貴方は東京の出身だったんじゃないの?」
「そうだよ。見渡す限り家ばかりで空き地も畑も田圃も無い所」
「それで良くそんなこと知ってるわね」
「一般教養なのである」
「どうして下着の抽出が田舎の香水の匂いなの?」
「うんち引っ付いた下着がしまってあるから」
「汚い。汚いわねえ、想像しただけで吐き気がする」
「だからそこに顔突っ込むと本当に気絶するぞ」
「何でそんな汚い物しまっておくの」
「冗談だよ」
「鍵上げたんだから、これから毎日此処に来てパンツを新しいのと穿き替えて行きなさい。汚れたのは洗濯機の上のカゴに入れておけばいいから」
「うーん。まあ、気が向いたらそうする」
「駄目よ。汚い下着なんか穿いていたら。毎日此処に来て取り替えなさい」
「うちに帰ったって穿き替えるよ」
「いいから此処に来なさい」
「へい」
「そういう返事の時は気にくわないっていう意味なのね?」
「いいえ、感激しているのであります」
「それじゃそうしなさい」
「ちょっと1杯飲もうか? 少し飲みたくなった」
「今日はおつまみも沢山買ってあるわよ」
「何がある?」
「コンビーフ、サラミ、チーズ。それから肉も野菜もあるから何でも作って上げる」
「お新香は無いかな」
「あるわよ。糠漬けが好きなんでしょ?」
「うん。何?」
「大根とキュウリと蕪」
「いいなあ。お新香なんて実に久しぶりのことだ。35年ぶりくらいだな」
「それじゃ生まれて初めてっていうことになるじゃない」
「間違えた。35日ぶりくらい」
「お新香だけでいいの?」
「うん。まだお腹いっぱいだから」
「お腹いっぱいで良く飲めるわね」
「一緒に飲まないか?」
「私ワインにする」
「ベビードールを着てワインか。赤ワインだと決まったのに」
「赤は渋いでしょ。私は甘くない酸っぱい白が好き」