忘れ物-1
「金村!乗れ!」
ギャリリー。
おそよこの世のものとは思えないほどダサい車が僕と友里の横に急停車した。
「お前…。」
「礼は後だ。逃がしてやる。」
「そうじゃない。さっきガブガブ酒を飲んでただろ?」
「プロだぞ、問題ない。」
なおさら問題ある。
「お前ら、逃げるあてあるのか?」
無い。
僕と友里はチラっと目を合わせ、後部座席に滑り込んだ。
シートベルトを締めると、車は急発進し…
ガツッ。
約2メートル先の標識を咥え込んで動かなくなった。プシュー、っと白煙が上がっている。
「それみろ。絶対ダメだからな、飲酒運転は。最悪、人殺しになるぞ。」
「お前もだろ。」
彼の視線の先に友里の夫が倒れている。
「ボヤボヤするな、行け!また会おう!」
「ありがとう!」
やり方はともかく、気持ちは伝わってきた。
僕は友里の手を引いて裏道の方へと走った。あたりはどんどん暗くなっていく。
友里が息を切らし始めたところで、僕らは走るのをやめて歩き出した。
「ありがとう…ござい…ます…。」
僕はそれには答えず、友里の手を握る力を強めた。彼女が握り返してきた。
「さて、どうしようか。とりあえず落ち着ける場所で…」
それは目の前にあった。メチャクチャ落ち着けるというか落ち着けない建物が。
「入りませんか?私、疲れちゃって。」
友里はにっこり笑って、僕の手を引いて入っていく。
「あ、うん…。」
こういう時って、女の子の方が大胆になるみたいだ。
薄暗い入口を入ると、自販機のようなパネルがあった。部屋を選び、ご休憩かご宿泊かを選ぶ。先払い。
友里の方を見た。
「…帰れません。いえ、帰りません。もう…。」
僕はうなずいた。
「そうだね。そのために連れ出したんだから。」
「ええ…。」
お金を入れて部屋を選び、ご宿泊のボタンを押した。カードキーとともに出てきたお釣りがチャリチャリンと音をたて、それは静かな廊下に場違いなほど大きく響いた。
エレベーターで3Fに上がると、目的の部屋はすぐに見つかった。カードキーでロックを外し、外開きの扉を開けると、布団やシーツを乾燥機で無理やり乾かしたような、こういう場所特有の匂いが鼻を突いた。なんだか少し懐かしい。
友里を先に入れ、後ろ手に扉を閉めた。ジーーーガチン、とオートロックのかかる音がした。
「シャワー、お先にどうぞ。なんてね。」
「ふふ、慣れてるんですね、先輩。」
「慣れてるように見える?」
「はい。」
「心外だなあ。そんなに遊んでないよ。」
「ご謙遜を。モテるんでしょう?」
「まあねー。」
少しだけ緊張がほぐれた気がした。
「あの、本当にシャワーしてもいいですか?」
「え?あ、い、いいよ、汗かいたよね。」
「ええ。」
シャワールームへ向かった友里の背中に話しかけた。
「覗いちゃおうかなー。」
彼女は一瞬立ち止まった。
「いいですよ。」
彼女の声の調子は冗談とも本気ともとれないものだった。
衣擦れの音に続いてガタ、バタン、というドアの開閉音が聞こえてきた。
シュワーーー。
細かい水滴が友里の肌に降り注いで弾けている。そう思うとなんだかモヤモヤしてしまった。そんなつもりで来たんじゃないのに。
キュウ。
蛇口を閉める音が聞こえ、シャワーがやんだ。パサパサとタオルを使う気配と衣擦れ。
「お先です。」
さっきまでより随分すっきりした顔になった友里が出てきた。バスローブで。
「え…。」
「あ、これですか?だって、服は地面に転がったときに汚れちゃいましたから。」
「あ、あー、うん、そうだったね。」
濡れたロングヘアーがバスローブの肩にかかっている。
グレーのワンピースより丈の短いバスローブから、友里の白い足が見えている。靴下は履いていない。
胸元も大きく開き、谷間の入り口あたりまで見えている。
僕は一つため息をついた。
「ゆったりしたね。ワンピースは随分窮屈そうだった。」
「ええ。窮屈でした。とても。とても、窮屈…でした。」
友里が僕の前を横切った。フワっとしたボディーソープの香りが流れていった。
「先輩もどうですか?さっぱりしますよ。」
言いながら彼女はソファーに座った。その時、ローブの裾の合わせ目が乱れた。
「う、うん。僕も入るよ。」
シャワールームの手前は洗面所になっており、そこにはグレーのワンピースがきれいにたたんで置かれていた。僕は目を逸らした。
友里の言う通り、体も気分もさっぱり出来た。
「お待たせ。いや、待ってないか。」
「待ってましたよ?」
「え…。」
「あ…。」
「あ、ごめん。」
「いえいえ…。」
「…。」
「…。」
「なんか…ヘンな感じになっちゃったね。」
「ええ。」
「…。」
「…。」
空気を変えようと思って、思い切った質問をしてみた。
「あのさ、旦那さんの事なんだけど。」
「はい。」
「結婚するまでは優しかった、ってやつだったりするの?」
わざと軽い調子でおどけながら言った。
友里が苦笑いした。
「あの人はずっとあんな調子ですよ。」
「じゃあ…。」
たしかに空気は変わったが、これはこれで…。
「楽器店でバイトしてた話はしましたよね?」
「うん。」
「彼、創業者一族の一人なんですよ。」